蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

マイケル・チミノ監督の「天国の門」をみて

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bowyow cine-archives vol.691

 

 1人の娼婦をめぐる2人の男の荒ぶる生と死が、西部の荒野の凄絶な死闘を背景に延々と描かれる。

 

 普通の監督は遠景で歴史の周縁を、近景で人間のドラマを、中景で物語の展開をはかるのだが、この監督はそういう常識や技法にいっさいとらわれることなくロングショットで抒情にふけったり、物語を前進することを放棄して人物のアップを延長したりするから、上映時間はどんどん伸びる。

 

 しかし「1890年代のワイオミング州ジョンソン郡における牧畜業者による移民虐殺事件」を題材にしながら、全体構成と編集に破綻し、形式や予定調和にとらわれない直情径行の、痙攣的な恋愛戦争民族差別に彩られたこの映画は、ときおりみずからが映画であることを忘れて、この世の埒外にさ迷い出る奇跡的な瞬間が散在するという芸術的な理由によって、他の尋常なる映画と決定的な違いを見せつけるのである。

 

 アメリカ映画の名門ユナイテッド・アーティストを倒産させたこの悪名高い映画は、いわば映画ならざる映画であり、映画が映画であることをやめて映画ならざるものへと逸脱することを最後の瞬間まで夢見ている奇体な映画なのである。

 

 

    なにゆえに結社などと粋がるの詩歌を革命する秘密結社ゆえ 蝶人