蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

リドリー・スコット監督の「テルマとルイーズ」をみて

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bowyow cine-archives vol.694

 

 

欲求不満気味の2人の主婦が、ストレスを発散しようと旅に出るが、ハメをはずしたテルマ(ジーナ・デイヴィス)をレイプしようとする男を、ルイーズ(スーザン・サランドン)が射殺してしまうところから始まる偶発的悲劇なり。

 

煮ても焼いても喰えない才人リドリー・スコットが、初めは処女の如く、終わりは脱兎の如き驚愕の終焉まで、親の因果が子に報うというある種の必然的連鎖律で因果を含めて描き尽くすのであったああ。。

 

それにしてもグランド・キャニオンの絶壁で、「もはや我らの生は燃焼したり、あとは野となれ山となれ」という絶望的悟りを、いともたやすく手に入れたものよ、という一抹の違和感はいまも残る。

 

そう、彼女たちも「真田風雲録」の主人公たちと同様に、てんでカッコよく死にたかったのだ。

 

しかしそういう流れでは、もっとカッコいい私の最愛のアメリカン・ニューシネマがあって、それは「バニシング・ポイント」という不朽の名作なのだった。

 

 

なにゆえにこのまま逝ってしまいたいと思うのかそれが生きとし生けるもののさがなので

 蝶人