メモリーズ盤のシャルル・ミュンシュ指揮ボストン響ライブを聴いて
音楽千夜一夜 第355回
駄演凡演も多いのですが、あたしゃあ昔から熱血漢ミンシュの乾坤一擲の炸裂棒が大好きで、特に相性が良かった故国のフランス国立管弦楽団とのベルリオーズやドビュッシーなどのフランス音楽を好んで聴いてきました。
この2枚組CDは彼が常任を務めたボストン交響楽団を指揮した一夜のコンサートをそのままライヴ収録したもので、前者は1952年12月26日、後者は1958年2月8日のボストンにおけるモノラル録音です。
モーツアルトの交響曲31番と41番、そしてブルックナーの7番というのはちょっと異色のレパートリーというても構わないでしょうが、これが期待を大きく裏切る大熱演で、ともかく涙がチョチョ切れます。
41番はもうクラシックファンにとっては耳タコの定番でしょうが、ここで聴けるジュピターはどちらかと云うとベートーヴェンのシュトルムウントドランク旋風ふうにえいやあと駈け抜ける力演で、こういう演奏を聴いたらきっとモーツアルトも泣いて喜んだことでしょう。
もはやモザールの最後の交響曲とかユピテルとかいうレッテルを最初から全部吹き飛ばしてしまったようなゴーイングマイウエイの快演です。
剛力だけではありません。31番のパリの第2楽章を聴いて涙しないひとは、かの人でなしの心安倍蚤糞以外は一人もいないでしょう。
ミンシュとかバーンスタイーンとかいう指揮者は完璧に自己中の音楽表現者で、後生大事に♪に忠実にやることなどはあまり重要視していませんから、この2人の(そしてカラヤンの)弟子である小澤などは彼らのそういう由緒正しい「武者振り」を学べば良かったのですが、小心者ゆえにその武者修行が中途半端に終わってしまい、中年以降現在にまで及ぶ長い長い藝術的停滞があると、私なんかは考えています。
要するにあまりにも斉藤先生の優等生すぎて、ついにミンシュとかバーンスタイーンのように命懸けで己の殻をぶち破る「掟破りの豪胆さ」が欠如していたんですね。勿体ないずら。
あれま、途中で話がずれてしまいましたが、後半のブルックナーは、私の好きな朝比奈やヴァントやチエリビダッケのいずれでもない独自の境地を天馬空を行く孤高の7番であります。
バーキンのジーンズ姿見て入店を拒否した有楽町の仏蘭西料理屋 蝶人