蝶人戯画録

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孤高の天才、チェリビダッケに寄す


♪音楽千夜一夜第20回

私が生涯で聴いた最高の名演奏は、1977年に初来日した彼が、ミュンヘンフィルではなく、わが三流オーケストラの読響を率いてのブラームスの4番だった。

全曲を通じてもっとも印象的であったのは、異様なほどの緊張を強いる最弱音の多用でとりわけ終楽章でフルートが息も絶え絶えに心臓破りの峠を上る個所では、聴衆もかたずを呑んでこの未聞の演奏の行く末を見守ったのであった。

そうして私は、かつていかなる指揮者も連れて行こうとはしなかった、とおいところに連れていかれ、そこで突然ほうりだされたことを知って驚き、呆然とした。

私は拍手をすることすら忘れて、この交響曲の知られざる真価を思い知らされたのだった。77年10月29日の夜の東京文化会館の読響は、哀れな凡才小澤の指揮するウイーンフィルよりも千層倍も素晴らしかった!

ところが、その翌年3月17日の横浜県民ホールのチェリビダッケと読響はもっともっと凄かったのである。

レスピーギの「ローマの松」の「アッピア街道の松」のクライマックスのところで、突然眼と頭の中が真っ赤に染まっってしまったわたしが、もうどうしようもなく興奮して、というよりも、県民ホールの舞台から2階席まで直射される凄まじい音楽の光と影のようなもの、音楽の精髄そのものに直撃され、いたたまれず、止むに止まれず、座席から立ち上がってしまった。と思いねえ。

すると驚いたことには、私の周囲の興奮しきった大勢の聴衆が次々に立ち上がって、声のない歓声をチェリと読響に向かって送り続けているのだった。

ああ、あの友川カズキ甲本ヒロトのような演奏を、もう一度でいいから死ぬまでに聴きたいものだ。

思えば、来る日も来る日も国内と外来のプロとアマのオケをさんざん聴きまくった5年間の大半が、それこそくずのくその演奏で、あれこそがたった一度のほんとうの音楽体験だったのだ。

いやよそう。魂の奥の奥までえぐる音楽の恐ろしさと美しさ、その戦慄のきわまりの果ての姿かたちを、たった一度でも経験できた、私はほんとうに幸せだった。

ありがとう、チェリビダッケ! そしてもうあれ以来訳の分からんところへ行ってしまった読響!