蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の老人の話(22)


第四話 株が当たった話その3

郡是の新株式を買うために、私は津山へ飛んだんでした。

津山では武蔵野という一流旅館を本陣として、いきなり女中に100円のチップを渡し紀の国屋文左衛門の故智に倣って実は新聞紙が中身の札束包みを主人に預けました。

その主人の紹介で津山製紙会社の重役をしている田中、倉見という地方では信用のある人物に頼みこんで、ここいらの株主が売りたがっている優先株を、当時地方値は払い込み以下でしたが、すべて払い込み額12円50銭で買うて買うて買いまくりました。

一方蚕具の方も専門技術者には好評を博し、郡是から町村長への紹介状をもろうてきて売って回ったもんですから、こちらもよく売れました。

第1次大戦の戦局が進むに連れて、世界の金が米国に集まり、米国の好景気を反映して郡是株もぐんぐん上がっってゆきよりました。

津山ではまだ12円50銭で楽に買えるのに、綾部ではもう20円もするようになり、毎日綾部から電報で相場をいうてくるんで、「今日は1万円もうかった」と思うた日が3日も4日もありました。

しかし蚕具のほうは後に大成館が会計の不始末で破産同様になってしもうて、私は旅費は出してもろうておったのですが、売上げからもらうはずの割り前は1文ももらえませんでした。

しゃあけんど、そんなことは何でものうて、片手間の仕事の株買いのほうで大もうけしてしもうたもんやから、昨日の貧乏から一転して小型ながらも「株成金」と地元の人から言われるようになりました。