蝶人戯画録

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レイモンド・カーヴァー著「象」を読む


照る日曇る日第98回

これは村上春樹が翻訳したレイモンド・カーヴァー最後の短編集である。

レイの短編の特徴は見事に完成されたばかりのキャンバスをその瞬間にナイフでざっくりと切り裂いたような放埓なラストであろう。表題作の象における稲妻のごとく疾走する大型車、「誰かは知らないが、このベッドで寝ていた人が」において突如引き抜かれる電話線、「親密」で主人公に降りかかるおびただしい木の葉、「ブラックバード・バイ」における愛する人との別れ――読者を突き放すように唐突に断ち切られた物語の終わりが、生きることは死ぬことであり、死ぬこともまた生きることである、という著者のクールな人生観をあざやかに示すのである。

最後にさりげなく置かれた「使い走り」は、死期を宣告された著者がそれこそ死力を奮って書き綴った遺作の短編だが、それはロシアの文学者チェーホフ最期の日を想像力豊かに描くことによって迫りくる自らの死を冷徹にトレースしている。

「バーデンヴァイラーはシュヴァルツヴァルト地方の西にある保養地で、バーゼルからそれほど遠くないとことにある。町のほとんどの場所からヴォージュ山脈が見えた。その当時、空気はまじりけなく綺麗で爽快であった。ロシア人たちは古くからそこを好んで訪れ、熱い鉱泉に身を浸し、通りをそぞろ歩いたものだ。1904年の6月に、チェーホフは死ぬためにそこを訪れた」

という見事なセンテンスを眼にした読者は、そのときマグニチュード8.0の大震災に襲われたとしても、その次から始まる短編の極意とでもいうべきストーリーを読まないわけにはいかないだろう。レイモンド・カーヴァーはこんな素晴らしい短編をこの世の置き土産に、1988年、50歳を一期に肺がんで身罷ったが、そのあまりにも早すぎた死が惜しまれる。

♪ぴらかんさ千両の順に食われけり 亡羊