蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

大館次郎の最期


鎌倉ちょっと不思議な物語137回

極楽寺から中村光夫旧居跡を過ぎて稲村ガ崎に向かって歩いていくと、もう少しで海に出る左手の窪みに史跡「十一人塚」がある。

ここは1333年わずか133騎で鎌倉幕府打倒に立ち上がった新田義貞と幕府軍の激戦場である。同年5月19日、藤澤から進軍した義貞の一族の部将大館次郎は極楽寺坂から攻め上ったが、鎌倉幕府方の守將・大佛陸奥守貞直の軍勢と一進一退を繰り返すうちに貞直の家來本間山城左衞門の部隊によって10名の部下と共に壮絶な討ち死にを遂げた現場である。

大佛貞直の軍勢は、いまは廃寺となった霊山寺の大門に大挙して篭っていたのである。

お墓にはたくさんの花が供えられていたが、その大館次郎の遺族の方が近くに住んでおられ、朝晩のお参りを欠かされないという。そう聞けば、今からちょうど675年前のその日の惨事が、まるで昨日のことのように感じられるのであった。

ところが、北鎌倉に住んだ澁澤龍彦の小説「髑髏盃」の登場人物は、「この十一人塚に眠っているのはおそらく無名の兵の亡骸で、大館次郎の墓はかならずや極楽寺の裏山にある。その証拠には極楽寺には大館次郎が討ち死にしたみぎりに所持していた鞍や鐙などの遺品が残っている」と自信満々主張している。

いずれが真実かにわかには断定できないが、こんど極楽寺を尋ねたら、住職に伺ってみることにしよう。


♪こんな監獄で働いて何がうれしいのかよ超高層に蠢く死せるアリたち 茫洋