蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

善の研究


♪バガテルop70

新約聖書のコリント書だかヨハネ伝に「信と望と愛のうちもっとも大いなるものは愛である」と書いてあったように記憶している。どうして覚えているかというと、私の郷里の墓地の標識の古い石に、祖父の字で「信望愛」と書かれているからだ。

しかし信仰と希望と愛情のうちでもっとも重要なものは何かと改めて考えてみると、どれも大切で貴重な価値を内蔵していて、どれがどれに勝るとか劣るとかいちがいに言えないように思われる。
そもそもそういう設問自体がナンセンスなのかもしれないが、かの聖人が最後の愛を選んだのは、前の二つの価値がいかにも抹香(耶蘇教)臭いからではないだろうか。

宗教人特有の親しさを突き放し、より一般人にも広く受け入れやすいアイテムをあえて選び推奨したのではないか、と宗教に無縁の私は下種の勘ぐりをしてみたのだがどうだろう。

キリスト教ではないがギリシア時代からの格率で、「真・善・美」という3つの価値も存在しているが、このうちでもっとも大いなるものは善ではないだろうか。

善とは何か? 

それは悪意と陰険さに満ち満ちたこの末世と腐敗し堕落しきった人間たちが跋扈するこの現実を「無化」する底抜けの善良さである。
善とは、あまりにも弱弱しく儚げに見える無垢な善良さである。大雨が降っているのに、チューリップにせっせと水をやっている知恵遅れの大バカ者だけが持っている善良さである。

最近は大半の人々が真と美を目指してなにやら不穏な動きを示しているようだが、最後に真価を示して全世界を救うものは善であるほかはない。私たちはわれらの内なる善をもっと大切にしたいものだ。

♪このぶんでは村上春樹ももらうだろう08年秋のノーベル賞大バーゲン 茫洋