蝶人戯画録

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秋山駿著「忠臣蔵」を読む


照る日曇る日第214回

大阪城崩壊から80年を閲し、原城の反乱の記憶も次第に遠ざかると血なまぐさい硝煙にかわって美服に薫じられた上方流のかぐわしい香の匂いが人々を魅了するようになる。華麗なる元禄文化の開幕である。

そこで権力者は、血を血で洗う戦乱の世に別れを告げ、太平に慣れ親しみ、平和というものに倦み果てた武士たちに対して、かつての宮本武蔵の「五輪書」や山本常朝の「葉隠」に代わって新たな「武士道」の規範を示さなければならない。恒久平和の時代における武士の生き方のバイブルを制作しなければならない。そのために活用されたのがこの前代未聞の仇討である、と著者は説く。

忠臣蔵の思想は、形は吉良の首を打って亡き主君の恩に報じるというものだが、その核心を流れるのは「武士であろうとする者は死を尖端に置く考えと行動によって義を護る者だ」ということだ。この独創的な元禄版武士道を立ち上げた大石内蔵助の義挙を民衆の潜在的な支援とあいまって直接間接にバックアップすることによって、5代将軍綱吉と側用人柳沢吉保は泰平の時代の武士道を確立した。そしてこの新武士道はそれ以後の徳川、明治時代を貫通し、明治天皇崩御の時点まで生命を保っていた。そういうのである。

せんじつめれば赤穂浪士の吉良邸討ち入りは元禄時代の強権独裁者である綱吉と彼を裏面操作した側用人柳沢吉保の陰謀である、というのが著者の結論であるが、しかし誰かに都合よく洗脳された浅野内匠頭が突然でくのぼうのように上野介に斬りかかったわけではあるまい。

論理の大筋は簡明だとしても、各論の証明があまりにもお粗末。これは歴史の理屈をうんぬんするのではなく、忠臣蔵をめぐる著者のユニークな文学的歴史散歩に耳を傾けるべき書物であろう。


♪武士は義に女は恋に死すべしと元録の掟ついに定まる 茫洋