蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

初夢


バガテルop79

嵐の中を疾走するシカゴ行きの夜行列車に乗ってどこか比較的大きな駅に着いた。プラットホームに停まった蒸気機関車から野生の獣の荒い息のように白い蒸気が噴き出ている。どうやらこの駅でしばらく停車するようだ。私はホームの端にある改札口を出て駅前広場のあたりをふらふらと歩きだした。

その暗闇の街でなにか大きな事件が起こったということはないと思う。あったとしても覚えていない。しかし私はそこでいつも夢の中でしか出会わない建物や風景と久しぶりに出会い、とても懐かしい思いに駆られた。

気が付くとそうとうの時間が経過していた。私は大急ぎで駅に引き返して闇を透かしてプラットホームをのぞくと、蒸気機関車とそれが牽引する何両かの古ぼけた木造の客車の姿は何度見直してもそのかけらもなかった。列車はもうとっくに出発してしまっていたのだ。

私は茫然として改札口に立ちすくみ、さてどうしたものかと考えた挙句に、改札口の傍にある小さな詰所に入っていった。幸いなことに駅員がいたので、私は事情を説明してなんとかならないかと尋ねると、彼は「もう上りはないよ」と冷たく言ってドアを閉めようとしたので、焦った私はドアの下に靴を入れてそれを防いだ。

「しかし下りで一駅戻れば上りの新幹線に乗り継ぐことができるのではないだろうか」といまそこで思いついたことをいうと、それが当たりだったと見えて、駅員は彼のほんらいの地である親切そうな表情に戻り、デスクで仕事をしていたもう一人の同僚に声をかけ、連絡と乗り継ぎの計算と新幹線の予約作業を猛烈な勢いで開始した。

ところがようやくその時になって、私は胸に納めた財布にたった1円もなく、この駅までの切符さえ持っていないことにはじめて気が付き、大いにうろたえ、さらにうろたえ、限りもなくうろたえているのだった。


市田柿1箱498円鎌万の安さ畏るべし  茫洋