蝶人戯画録

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杉本秀太郎著「伊東静雄」を読んで


照る日曇る日第267回

私にとって伊東静雄は、中原中也と並んでまさに「詩人の中の詩人」というべき存在です。

太陽は美しく輝き
あるひは太陽の美しく輝くことを希ひ
手をかたくくみあはせ
しづかに私たちは歩いて行った

1935年(昭和10年)、彼が若冠29歳で書いた詩集「わがひとに与ふる哀歌」を読んだ人なら、この詩人の研ぎ澄まされた知性とあまりにも繊細な感受性、その孤高に拠るエキセントリックな世界に驚嘆し、憧憬と近寄りがたさの両方の気持ちを懐くに違いありません。

彼の詩はヘルダーリンゲーテ古今集などから学んだ象徴的な修辞技法、とりわけ隠喩を駆使した難解ではあるけれど美しすぎる語法に最大の特徴があると思われますが、その代表作「わがひとに与ふる哀歌」を文字通り徹底的に読み解いたのがこの本です。

まず著者は、この詩集はプロットにもとづいてすべての作品を作り配列されたと断言します。次に、題名の「わがひと」とは詩人の恋愛の対象である女性ではなく、「私」という男の「半身」であるところの男性であるとし、冒頭の「晴れた日に」以下の連作は、その「私」と「私の半身」との間の応答あるいは対立と相互抵抗から生まれ、和解のないままに「放浪する半身」の入水自殺によってこの相互関係は断絶したと断定するのです。

それは確かにひとつの仮定にすぎませんが、強引とも思えるこの想定に従って読みはじめた私は、それまでは美しいけれども難解そのもので結局は意味不明であった諸作品が著者の解説と解釈によって次第に統一的な視点で像を結び、形式と意味内容ともどもが初めて腑に落ちるという類稀な詩的体験を味わうことができたのでした。

余談ながら著者は、「わがひとに与ふる哀歌」の第14番目の「詠唱」という作品を読むと、ショパンの「24の前奏曲」の第7番の曲を思い出すと書いています。

この蒼空のための日は
静かな平野へ私を迎へる
寛やかな日は
またと来ないだろう
そして蒼空は
明日も明けるだらう

というたった6行の短い詩は、あの短いイ短調のピアノ曲にまことにふさわしい境地であり、私は著者の鋭い感性にいたく共感を覚えたのですが、それがアルゲリッチポリーニの演奏ではなく、太田胃散の悪名高きBGMとして耳朶を打ったことに激しく臍を噛んだことでした。

♪太田胃散いい薬かもしれないが悪い音楽です 茫洋