蝶人戯画録

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村上春樹著「1Q84BOOK3」を読んで


照る日曇る日第341回


はじめに言葉がありました。そして言葉を信じる者は言霊を信じ、言霊の幸ふ精神の王国を言葉の力によって創造することを夢見るのです。

著者はこのようにして1984年に住んでいた青豆と天吾を拉致して「1Q84年」に連れ去り、本巻の最後に元の1984年ならぬもう「ひとつの1984年」、つまり新たな「1Q84年」へといったんは帰還させたのでした。

主人公の青豆と天吾だけでなく、ここで著者がつくりだしたのは、現実と非現実が複雑に入り混じるねじれた時間と空間そのものです。3次元だけではなく4次元、5次元、6次元という数多くの時間と空間が複雑に共存し、相互に微妙な影響を及ぼし合う異数の世界を、そこに生き、死に、また甦る人々(それはもはや普通の意味での人間ではありませんが)の喜びと悲しみを、2人の主人公の運命的な恋を軸として描くことこそが著者の狙いなのです。

世紀の大恋愛の周囲には、生い立ちの謎や幼年時代のいじめ、不幸な家族の思い出や秘密結社の暗闘、スパイの張り込みや恐喝、殺人、情事や性交や妊娠、古典音楽や文学者・思想家の名セリフの引用などが過不足なくちりばめられていますが、だからといってそのプロットの斬新さと仕掛けの大きさに比べて物語の本質がさほど新しいわけではなく、むしろいささか古色蒼然たるものであるといえばいえるでしょう。

「彼はその手を記憶していた。20年間一度としてその感触を忘れたことはなかった。」

それはともかく、著者が深夜の書斎で徒手空拳で創造した小説の世界のなんという素晴らしい出来栄えでしょう。
よしんばそれらがことごとく荒唐無稽な「見世物の世界」であったとしても、私たちは著者が手品師のように繰り出す、何から何までまったく真実らしいつくりものあれやこれやを、ついつい「本物」と信じ込まされてしまうのですから。
私たちの目には月はひとつしか見えませんが、きっとある人には2つの月が見えているに違いありません。真っ赤な嘘を恐るべき真実に変えてしまう本当の小説とは、まさにこのような作品をいうのでしょう。

しかしながら、この本の終わりでは、もはや東の夜空に2つの月は輝いてはいません。
愛すべき愚直な探偵牛河は無惨な死を遂げましたが、怪しい新宗教団体「さきがけ」では相変わらず青豆と天吾の間に誕生するであろう子供を彼らの後継者として追い求めていますし、どこか不気味な6人のリトル・ピープルは、新たな「空気さなぎ」の製造にせっせといそしんでいるに違いありません。

この世の悪に対して正義の鉄槌を振り下ろす深窓の婦人とその忠実なしもべ剛腕タマルも、さきがけの元教組の娘で、小説『空気さなぎ』の原作者である「ふかえり」こと深田絵里子の行方も杳として知れません。

その文章が読む者の心をやわらかくときほごし、無条件に楽しませ、退屈で手あかにまみれたこの世界になにがしかの新しい意味を付け加えることによって、閉塞困憊し切った私たちに「読むことによってもういちど生き直すような類の喜び」を与えてくれる点で、まことに貴重な価値を有するこの作家の「果てしなき物語」は、まだ始まったばかりであり、次なるBOOK4の刊行が、せつにせつに待たれるのです。


♪わが胸の奥の奥にも巣食いたる「空気さなぎ」よ何を孕むや 茫洋