蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

黒井千次著「高く手を振る日」を読んで


照る日曇る日第344回

こういう作家がいるとは知っていましたが、その作品を読むのはおそらくこれがはじめて。タイトルが抒情的で、なんだか涙腺を刺激するので、ついつい読む気になったのですが、ラストではその通りになりましたから、まずは想定内の首尾を収めたというところでしょうか。

テーマは「高齢者思慕あるいは恋愛」と言って構わないと思います。会社を定年退職して還暦を過ぎ、古希を迎え、長い人生の「行き止まり」に逢着した男女の交情が、はじめは処女の如く、終わりは脱兎のごとく描かれ、諸般の事情で老人ホームに入ることを決意した大学時代の同窓生の女性に「高く手を振って」別れを告げるところで、この30年遅れの思慕純愛小説が終わるのです。

といいたいところですが、実際は「右手を高々と差し伸べる仕草を見せかけて途中で止めた」と書かれているのが悲しいところ。「今日はね、ご挨拶に上がりました」と言うなりソファーの上の主人公に激しく覆いかぶさってみずから接吻を求めてきたヒロインが、今生の別れに際して、「私に見えるように、大きく振ってね」と頼んでいるのに、黒井選手はどうして「題名通りに」ちゃんと手を振ってあげないんですか? これでは羊頭狗肉でしょう、と文句をつけたくなる主人公のカッコ悪さです。

全然関係ないけど、同窓会の後、タクシーで女性を送って行って、「さよなら」を言おうとしたら、いきなり接吻されたりしたりした経験は、みなさんありませんか。ああいう夜は、どうもそういうことをやってみたくなるものらしい。そしてこの小説もそーゆーノリで書かれている節もあります。

それはともかく、小説の最後の最後で電話が♪リンリンと鳴ります。
相手はもしかするといま別れたばかりのヒロインかも知れない。そうであれば「行き止まり」状態に陥った主人公に、新しい生の情炎がふたたび点火されるかもしれません。
はてさていったいどうなるのか? 読者に気をもたせつつ最後の一節が王手飛車取りの妙手のようにぴしゃりと盤上に打ちつけられるのです。

「電話の呼び出し音は家の中から止むこともなく続いている」

さすが名人の練達の手腕というところでしょうか。


マリー・アントワネットの首の如く落花せり一輪の真っ赤なチューリップ 茫洋