蝶人戯画録

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鎌倉文学館で「高浜虚子 俳句の日々」展を見る


茫洋物見遊山記第25回&鎌倉ちょっと不思議な物語第217回



百千の薔薇薫る鎌倉文学館で、俳人高浜虚子の特別展を眺めてきました。(7月4日まで開催)

虚子と言えば、ただちに

流れ行く大根の葉の早さかな

遠山に日の当たりたる枯野かな

などの秀句を思い浮かべますが、いずれも叙景のデッサンが的確で、イメージの喚起力がことのほかあざやかです。

虚子は正岡子規が唱えた写生句から出発して、「客観写生」「花鳥諷詠」という理念を唱え、俳句という芸術にはじめて理論的骨格を与えた人物ということになっています。しかしその偉大な功績を評価するとともに、彼によって拒否され、切り捨てられてしまったより多様で豊饒な俳句世界の可能性についてもあわせて一瞥を投げておく必要があると思います。

子規の膨大な句作をつらつら眺めてみると、この近代俳句の始祖が抱え込んだ複雑怪奇で融通無碍、さながら化け物のように自在な複合的表現世界は、とうてい「客観写生」などという無味乾燥なスローガンにとどまるような単純な性格の代物ではなかったと思われます。弟子の虚子は、そのほんのひとにぎりの遺産だけを譲り受けて、彼の個人営業を開始したにすぎないことがわかるのです。

そのことは、虚子と並ぶ子規のもうひとりの高弟であり、かつては子規の後継者に擬せられ、いまではほとんど忘れられた同郷の俳人、河東碧梧桐の自由奔放な新傾向俳句に接してみれば、身に沁みて理会できることでしょう。

しかしながら、碧梧桐の自由律に対して生涯にわたって徹底的な戦いを挑み、あえて「守旧派」を自称した虚子自身が、「客観写生」をモットーとする「花鳥諷詠」を詠んだかといえば、まったくそうではないところに、この人物の懐の深さをうかがい知ることができるでしょう。

去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの

金亀子(コガネムシ)擲つ闇の深さかな

春風や闘志抱きて丘に立つ

などという俳句を詠む人間が、己がしつらえた「客観写生」と「花鳥諷詠」の2枚看板糞食らえ、とひそかに考えていたことだけはまず間違いないでしょう。私にいわせれば、この図太い棒、この輝く黄金虫、この柔らかな春風と真っ赤に燃える闘志こそが、虚子の本質そのものなのです。
俳諧の中興の祖は、師の子規ほどのスケールではなくとも、獅子「心」中にあまたの魑魅魍魎が暗躍する漆黒の闇を抱えこんでいたようですね。


♪この棒がこの黄金虫が虚子である 茫洋