蝶人戯画録

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ジェームズ・レヴァインの「マーラー交響曲集」を聞いて


♪音楽千夜一夜  第170夜

 豚のように太った人間はいくらその中身がよくっても、見るからに嫌なもんだが、(例えばイジュウインなんとかという豚。もっと節制せよ!)音楽関係ではパバロッティとこのレヴァインだけは例外だ。もっともっと太れ。太ってもかまわないと、と言いたくなってしまうから私もいい加減なもんだ。

私がこの太った指揮者のマーラーを聞いたのは、もう30年以上前になるだろうか。フィラデルフィア管を振った「巨人」と呼ばれているホ短調交響曲は、同じ曲のワルターの演奏と並んでいわゆるひとつのマイ・フェイバリトゥ・レコーズであった。

ショルテイやバアンスタインやバルビローリやテンシュタットなどが一時の激情に駆られてオケをあおるところを、この指揮者はかえって冷静に、そして抒情的に演奏しているのがことのほか印象に残り、これは誰の影響かと考えてみると、彼の師のジョージ・セルの教えなのだった。セルの1番や6番に耳を傾けてみると明らかにその瑞々しい幽かな源流と出会ったような思いがするのだった。

そうして魔粗の世がバアンスタイン、ゲルギエフなどの動脈派とアバドブーレーズ、シャイイーなぞの静脈派に大きく2分化されていく流れにあって、ラトルやヤンソンスなぞはあえてその中庸をいこうとしているかにも見ゆるのであるが、まあマーラー自体の音楽にあまり評価できない私としては、クラシカル・ミュージックの原体験ともなったこのレヴァイン盤を懐かしく聞いてみたことだった。

残念ながら2番が入っていないが、他の全曲が10枚2490円で一挙にわがものになるというのはなんといっても近来の朗報ではなかろうか。どれも素敵な演奏だが、あえて取るなら10番か。


声美しき人心清しと刻まれて我等のテナーここに眠る 茫洋