蝶人戯画録

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アニエスカ・ホランド監督の「ベートーヴェンにならって」を観て


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.71

 
「敬愛なるベートーヴェン」という訳のわからない邦題をつけたのは、東北新社という配給会社のド阿呆。「敬愛」は名詞で形容動詞ではないから、このれっきとした誤用では楽聖を尊敬するどころか日本文化全体をコケにしたも同然である。

 ちなみに原題は「COPYING BEETHOVEN」。作曲家をめざすこの映画のヒロインが、ベートーヴェンを尊敬しており、彼の晩年の作品の写譜をする若い女性なのでこのタイトルがつけられているが、もうひとつ彼女の作品が「いい曲だが、私の真似をしている」と楽聖から批評されたポンイトを強調したいために、こういうネーミングにしたのである。

いやしくも創造をめざす表現者は、師表のたんなる模倣者に終わってはならぬ。「鶏口となるも牛後となるなかれ」という貴重な人生訓を含んだ文部省推薦映画なのに、せっかくのその有り難い内容を、無知で無教養な日本の配給会社が台なしにしたのである。おそらくこの会社には、日本語を正しく読み書きのできる日本人がひとりもいないのであろう。

そこでそんなアホバカ会社に代わって私が考えたのが新邦題の「ベートーヴェンにならって」。トマス・ア・ケンピスの名著「キリストに倣いて」にならったのですが、以後は日本全国このタイトルに変更していただきたい。

と、さんざん悪口を叩いたけれど、映画自体はなかなかおもしろかった。

1824年5月7日の第9交響曲の初演は、この映画では、なんとくだんの写譜係の女性が、オケのなかにもぐりこんで楽聖に向かって指示を出し、それを見ながらつつがなく指揮を終えたベートーヴェンが、ウイーンの満堂の聴衆の拍手喝采を浴びることになっている。

しかし実際は、そもそもこんな若い女性なぞはベトちゃんの妄想の中にしか実在せず、難聴のために正確な指揮ができないベートーヴェンの隣に正指揮者が並び立ったために、即席のオーケストラは大いに混乱したそうだ。さもありぬべし。

 彼女はベートーヴェン宅に通うためにウイーンの修道院に下宿しているという設定になっているが、修道院長のおばさんはサリエリの弟子についたという設定にもなっていて、この映画は、生涯を独立不羈に生き抜いた楽聖の励ましで、男でも難しい作曲家をめざす女性に対してエールを贈るところで幕がおりる。ちょっととってつけたようなフェミニン映画とも言えるだろう。


 聖キリストにはならえなくとも楽聖ベートーヴェンならならってもいいな 茫洋