蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

狂言綺語


バガテルop137


原発の本質は核の爆発である。原発を全廃しようとする国民の総意に反対する経産省大臣や与野党の議員や経団連や東電や大企業の指導者は、エネルギー政策の転換に伴う利権の棄損やもたらされるかもしれない経済的混乱に反対しているのではなく、この国の最終的な核武装放棄に、深層心理下で反対しているのだ。

これまで原発推進に賛同し、直接間接に支持してきた人たちが、あれだけの大惨事になった福島原発事故のあとでこれまでの自分の言動を反省したり、そうしないまでも何らかの意思表示をしないのはどうしてだろう(どこかでしているかも知れないが)。
私は自民党のアホ馬鹿議員よりも、例えば東電の安全キャンペーンの旗を振った小林亜星氏や、わが国の原子炉は30年以上無事故であるからなどと称してその科学技術力の高さを盲信していた吉本隆明氏などの声を聞きたいと切におもうのだ。

資本主義が飽くことなき生産力と利潤の追及をモットーにしていることはよく知られているが、その前提は富と豊かさの肯定であり、さらにその前提には個人の欲望の全面的な肯定がある。戦争や内乱、原子力発電への制御を含めて乱熟した資本制社会の内部矛盾は最高のレベルに達しているが、この矛盾は先進国と後進国を問わず地表に残存する諸個人の放恣な欲情と過剰な欲望を、中国が一人っ子政策において敢行したように、国家権力が暴力を発動して鎮圧するか、新たな倫理観に目覚めた個人が自主的に抑止しようと決意し実行しない限り、解決できないだろう。

人は論争によってはけっして説得されず、たとえ論理的に破綻しても絶対に己の見解を変えたりはしない。人を変えるのは合理的な論理ではなく、没論理の不条理な感情である。才人が小理を振りかざして大衆を折伏しようなどとは愚かなことだ。


少数の見知らぬ友に日記書く 蝶人