蝶人戯画録

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上田正昭著「私の日本古代史(下)」を読んで

 

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 照る日曇る日 第571

 

上巻に続いていかにも学者らしい冷静な筆致で、継体朝から律令国家の成立までをバランスよく記述している。最近「聖徳太子」が実在しなかったとか、「古事記」は偽書であるなどという俗説が商売繁盛しているようだが、それらが事実無根の妄論であることもこの本を読むと納得できよう。

 

世間では神代の昔から現代まで一貫して天皇制が存続したなどと考えている人も多いようだが、そもそも「天皇」という言葉が使用されるようになったのは天武朝からだし、それまでは「大王」と称されていた。王とは各地の部族の長で、それらの親玉を大王と称したが、大王が天皇に成り上がるためにはいくつもの階梯を経なければならなかったのである。

 

まして「天皇制」に至っては著者が説くように古代の律令国家と「旧大日本帝国国家」においてのみきらきらしく存在を誇示したにすぎず、誰からもその必要を認められず、見捨てられておおむね幕藩体制の陰にうずもれていたことを私たちはよく顧みる必要があるだろう。

 

「倭」がようやく「日本」に変身するのも天武朝からであるが、本書を読んでいるとその古代日本がいかに大唐を懼れ、へつらい、そのうっぷんを「夷狄」「蛮国」である朝鮮半島の国々にぶつけてみずからの「中華思想」を振りまわしていたかがうかがえて興味深い。

 

「大唐」はその後「西欧」にとって変わった。するとわが親愛なる日本国は、好悪相半ばする東アジアの大先輩をにわかに前近代的な後進国とみなして唯我独尊・武断暴虐の限りを尽くし、過ぐる大戦で一敗地に塗れても、まだ往時のかりそめの優越感を忘れることが出来ないので、かの石原慎太郎のごとく悔し紛れに「大唐」を「支那」よばわりして己の低劣さを世界に晒す下品な手合いが跡を絶たないのである。

 

 

とろとろと柚子を煮てゆく昼下がり 蝶人