大島渚監督の「少年」を観て
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.410
今はあまりはやらないが、昔「当たり屋」という商売があった。自動車に轢かれたふりをして騒ぎ立て、示談金をむしり取るという商売である。
親の生活のために強要されてこの因果な「仕事」を続ける「少年」を主人公とするこの映画は、実在のモデルを素材にしながら、大島の自在な空想と想像力によって異常なまでにリアルに拡大され、おのれを犠牲にして強欲な父親や継母に滅私奉公する少年の「自殺することも許されない」ぎりぎりの場所での生をあざやかに描破しつくしている。
親が子を迫害したり、売りに出したり、これほど露骨な形ではなくても子の労働に依存して生計を立てる例は貧乏な大昔からあったわけだが、それが高度成長の時代にもデフレの今日にも存続しているのだから、本作の現代性の残滓はまだ底光りしているといえよう。
だが、それよりもこれは過酷な境遇にあってもけなげに成長を続けてゆく一人の少年のビルダングスロマン、春夏秋冬の日本列島を家族でへめぐる一大ロードムービーとして鑑賞したほうが私たちの想像は自由に羽ばたくことができるだろう。
死んでしまった美しい少女のおもかげを偲びながら、少年が長い沈黙を破る瞬間、大島渚が抑えに抑えていたリリシズムが冬の花火のように炸裂する。
柚子煮ればやがてジャムとなるめでたさよ 蝶人