蝶人戯画録

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「春の鎌倉文学館ツアー」で材木座を歩く

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茫洋物見遊山記115回&鎌倉ちょっと不思議な物語279

 

今回は材木座近辺の半日文学散歩です。若き日の大佛次郎が教鞭をとっていた鎌倉高等女学校(現鎌倉女学院)を出発して、放浪中の泉鏡花が寄宿していた日蓮宗の妙長寺を訪れました。彼はこの時の体験を小説「星あかり」に書いていますが、夜は潮騒に包まれ無数の蟹が現れたそうです。

 

小説家の林不忘は結婚後、この近くの向福寺に一部屋を借り、新婚生活を送ったそうです。この辺は日蓮宗のお寺が多いのですが、ここは珍しく時宗でした。

 

歌人の吉井勇、作家の横溝正史も一時材木座界隈に住んだようですが、当時東京の博文館に勤めていた横溝正史は月給をもらうとまず銀座で呑み、次に横浜で呑んですっからかになり、鎌倉を乗り過ごして横須賀まで行ってしまい、そこからいつも大佛次郎の家に電話したそうです。

 

すると大佛次郎が「奥さーん、横溝君がお金がないから持ってこいと電話してきましたよお」言いながら走って来るので、奥さんはとても恥ずかしかったそうです。

 

夏目漱石は夏になると家族と材木座の別荘に滞在しましたが、そのうちの1軒は現存しており、彼の「行人」や「彼岸過迄」に当時の思い出が書かれています。

 

ビルマの竪琴」で有名なドイツ文学者竹山道雄の旧居も昔懐かしく現存しており、ここは訪れる都度なんとなく文藝の薫りが漂っているのが貴重です。

 

いよいよ材木座の海岸に近づけば、かの「鎌倉アカデミア」の教室があった光明寺の本堂と庫裏が見えてきます。鶴見事故で亡くなった三枝博音高見順村山知義などの鎌倉在住の哲学者、作家なども教授を務めましたが、昭和24年から廃校まで4年間教壇に立った歌人の吉野秀雄などは、夏季休暇中も蒸し風呂のような暑さの中、4時間ぶっ通しで裸で文藝を論じたそうです。

 

できることなら私も学生の昔に戻って、吉野先生の歌論を拝聴してみたかったなあ。

 

 

一朝万朶の椿落ちて一枝の桜咲きにけり 蝶人