蝶人戯画録

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加藤治郎著「短歌のドア」を読んで

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照る日曇る日第582

 

 恥ずかしながら短歌の本を手に取るのはこれが「岡井隆全歌集第4巻」に次ぐ2冊目ということで、最近短歌が好きになって下手な歌を見よう見まねで詠んでいるだけの人間にとっては、宮沢賢治の史上初の「シュルレアリスム短歌」の先駆的紹介をはじめいろいろ勉強になりました。

 

 著者によれば短歌界の大事件とは、アララギ解散、前衛短歌の隆盛、桑原クワバラの「第2芸術論」、俵万智の「サラダ記念日」、斎藤茂吉の「赤光」がベスト5で、特に最近では俵選手などのライトヴァース調が業界に大きな衝撃を与えたらしい。

 

 ベストセラーとなった彼女の86年の第一歌集「サラダ記念日」なら当時私も読んだが、「「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ一本で言ってしまっていいの」なんて友川カズキ友部正人井上陽水中島みゆき甲本ヒロトなどのミュージシャンの歌詞に比べたらなんぼのもんや。当たり前どころかビートルズボブ・ディランより内容も形式も古臭いじゃあないかと軽蔑して一顧だにしなかったが、当時はFuck林あまり、Parcoの仙波龍英と共に一世を風靡したらしいんです。

 

 しゃあけんど、短詩形文学の詩の言葉も音楽の歌詞も一視同仁に取り扱うこのような視線の最先端には、高踏的な桂冠詩人の超難解な1行よりも、死刑囚の稚拙な575や、あまねく人口に膾炙されている相田みつおの「今日の言葉」や玉置宏の天才的な話芸、障碍者の輝かしい「言葉のサラダ」、肉体言語としてのラップ・ミュージックなどに、より高いゲイジュツ価値を見出そうとする(都築響一選手が「夜露死苦現代詩」で追及している)言語世界がある、と私には感じられたのである。

 

 されど「サラダ記念日」当時、短歌どころか文藝なんて全く無関心でインディーズのライヴに夢中になっていた私には、こういう近現代短歌史の基本知識がまったく欠落しているので、さまざまなドアから短歌へのアプローチを試みているこの本からは、実に貴重な示唆と刺激を受け取ることが出来ました。

 

 

歌を詠むしあわせそれは辛うじて七七にまでたどり着きしとき 蝶人