蝶人戯画録

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村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んで 前篇

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照る日曇る日第589回&♪音楽千夜一夜 303 

 

 

1)本書の中核に位置する“友情のペンタゴン”はすべての人々の懐かしい青春時代の思い出でもあり、この国の、この惑星の、過ぎし黄金時代の遠い記憶でもあるのだろう。

 

2)しかし村上春樹も歳をとった。いつものように、いつものような物語をものがたろうとつとめるのだが、地表と全身に降り積んだやくたいもない堆積物が重すぎて、いつもは軽快な飛翔をみせるSF飛行体はなかなか離陸できず、数十頁も助走してからよたよたと曇天の空に飛び立つ。ライト兄弟の初飛行のように。やれやれ。

 

3)ようやくお馴染み村上ワールドのはじまり、はじまり。しかしどこかが微妙に違う。ボルトナットが定められた場所でキチンと締められていないような気がするのはなぜだろう。もしかすると村上選手が全体の設計図を最後まで書き込まないで列車を走らせたからかもしれない。あえて行先を定めないきままな旅を試みることによって遠い昔の“自由”を獲得できるのではないかと夢見て。

 

4)とその時、どこかから微かに聴こえてきたのは、リストの「巡礼の年」のあえかな響き。「ロ短調ソナタ」では豪放磊落に叩きまくっていたラザール・ベルマンが、ここでは自らが発する繊細な音色をいとおしみつつ聴き入っている。かつて死せる吉田秀和翁が初めて見出したロシアの眠れる獅子のリリシズムに、作家は改めて出会ったのだ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=nHnpxQ4fWi0

 

歳とるといふはウイが減りノンが増へるといふにあらずや 蝶人