蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

水無月詩篇

f:id:kawaiimuku:20130618100659j:plain

 

ある晴れた日に第135回

 

「悪と善」

 

 

ブレッソンの「ラルジャン」という映画では、高校生がこづかい稼ぎのために作った偽札をつかまされた真面目な労働者が、親切なおばあさんとその一家を斧で皆殺しにしてしまう。江戸の敵を長崎でとはこのことか。

 

誰かから被った悪意が、罪の無い善意の人をこの世から抹殺してしまうとは、なんという残虐さであろう。

 

ブレソンの世界には、神はいない。あるいは、いても沈黙を守っている。

 

                 *

 

私の中には、間違いなく悪意がある。

 

そしてその悪意は、ふとしたはずみで他人の中に流れ込んで別の悪意を生み、その悪意がまた拡散してさらに毒々しい悪意を生みだすのだ。

 

もしかすると、この悪意の巨大な集積が、戦争をもたらすのかも知れない。

 

                  *

 

私の中には、間違いなく善意がある。

 

そしてその善意は、ふとしたはずみで他人の中に流れ込んで別の善意を生み、その善意がまた拡散して、さらに清々しい善意を生みだすのだ。

 

もしかすると、この善意の巨大な集積が平和をもたらすのかも知れない。

 

                  *

 

私の中には、間違いなく悪意と善意がある。

 

私が発した悪意は他人を傷つけるばかりか、私自身にも逆流して、その醜い毒液で私の中の良きものを損なうが、同じ私から流れ出た善意は、その無惨な傷を少しでも癒そうと努めるのだ。

 

                  *

 

私の中には、間違いなく悪意と善意がある。

 

そしてその悪意と善意は、ふとしたはずみで他人の中に流れ込んで、別の悪意と善意を生み、その悪意と善意がまた拡散して、さらに強力な悪意と善意を生みだすのだ。

 

もしかすると、この悪意と善意の果てしなき反復が、私の生そのものなのかも知れない。

 

 

 

「おり」より「たり」

 

2013年5月18日、俳人の山田みづえさんが老衰で亡くなられた。亨年86。風の便りでは長く認知症を患われていたという。

 

山田さんは1926年に本居宣長以来の国学の伝統に連なる最後の国学者山田孝雄の次女として宮城県仙台市に生まれた。兄は「新明快国語辞典」の山田忠雄、同じく国語学者の山田俊雄という偉大な古典学者の血脈を引き継いでおられた。

 

石田波郷に師事し、1976年に俳人協会賞を受賞。76年から「木語」主宰、句集「忘」「中今」、随筆「花双六」などの著作があり、晩年は江東区の芭蕉記念館などで俳句を教えておられたことは、私がそこに貼られたビラで確認している。

 

ところが私は長年にわたって同じ会社で働きながら、彼女がそういう立派な経歴の持ち主とは夢にも思わず、“ちょっとうるさいタイピストのおばさん”と思っていたのである!

 

みづえさんは、わが社の顧客へのお詫びの言葉に「海容」という言葉を使った若輩者の私に興味を懐いて、私が生まれて初めて作った「鎌倉の海のほとりに庵ありて涼しき風のひがな吹きたり」という下手くそな歌を「悪くないわよ」と褒めてくれ、

「でも、吹きたりを吹きおりにするともっといいよ」

と教えてくれたりする人だった。

 

それでも「おり」より「たり」の方がいいと頑なに思いこんでいた私が、いや、やっぱり「おり」の方がいいなと気付いたのは、それから半世紀近く経ってからのことだった。

 

というと、いかにももっともらしい嘘になる。

 

ほんとは、私は山田さんの傍らで働いていた「鎌倉の海のほとり」の娘を恋するようになり、彼女が越してくるまでは鈴木清順監督が住んでいたという「庵」を詠んだその歌を、誰からもいじられたくなかったのである。

 

そんな途切れとぎれの記憶の繋がりのなかで、いつも謹厳な学者の娘のたたずまいを残していた小さな女の子のような山田みづえさん、さようなら。私はあなたのことをけっして忘れないでしょう。

 

合掌。

 

 

 

の銃と二発の銃弾」

 

長男のしょうがい者施設入所に備え、現金30万円を持って鎌倉から大和市へ向かった。

家具やテレビ、寝具など一式を、大和市のヤマダ電機やニトリへ行って買い込むのだ。

施設に入るのは大変だ。「もうこれがラスト・チャンスです」と言われて思い切ったのだ。

 

しかし、いくら私たちが思い切って、新居の備品を買いそろえても、好き嫌いの激しくデリケートなカナー氏症候群者が、急に「ノー!」と言い出せば、すべてがオジャンになってしまう。

 

何事もなく入所してくれればいいのだが、と祈る思いで、雨の246を走っている。

妻が運転する自動車に乗って。

正確には、乗せていただいて……。

 

車は、去年の暮れになけなしの金をはたいて買ったAQUAである。

色はどう見てもただの白なのに「ライムホワイトパールクリスタルシャインです」とセールスマンは言い張ったっけ。

 

妻は、「私たちが買う最後の車ね」と、のたまわった。

ちなみに車のナンバーは2012。

こうしておけばいくら耄碌したって買った年を忘れないだろう。

 

さっきから妻は黙って運転している。

何を考えているんだろう。

彼女は、老人がいつまで自動車を運転できるかという偉大な実験に取り組んでいるのだ。

 

私は自分ではなにも出来ないので、妻に先立たれたら私は終わりだ。

「いわゆるひとつの江藤淳」だ。

無能の極致。夢見ることしかできない、愚図で低能のわたし。

 

雨はだんだん激しくなる。

 

桜ケ丘辺りを走っているうちに、私は、いま自分が心の奥底でいちばん欲しているものが何であるかに気がついた。

本当に私と息子に必要なもの。それは家具やテレビや寝具ではなく、一の銃と二発の銃弾。

これさえあれば、いざというときに一番役に立つだろう。

 

でもそれは、残念ながらヤマダ電機でも、ニトリでも、無印良品でも売ってはいない。

どこかで売っていないか、一の銃と二発の銃弾?

誰か私に、一の銃と二発の銃弾を売ってくれる者はいないか?

 

こういう時にはジャパンは不便だ。アメリカならすぐにも買えるのだが……。

突然私は、出張でアメリカに行くたびに、靴底に短銃の部品を数回に分けて密輸入していた西部劇マニアの元上司を思い出した。

 

雨はどんどん強くなり、とうとう土砂降り。

街も、道路も、車も、隣で運転していたはずの妻も灰色の雨に覆われ、

そして、何も見えなくなった。

 

 

 

背番号ゼロの人」 

 

久しぶりに紅葉坂を登って掃部公園を訪れたら、横浜能楽堂の裏門に放浪者が寝転んで2匹の猫に餌をやりながらワンカップ大関を飲んでいるのを、井伊掃部頭直弼の銅像が見下ろしていた。

 

1匹は白ネコ、もう1匹は黒猫だった。

黒猫のタンゴ、タンゴ。

まことに幸福そうな顔をしてなにやら演歌を口ずさんでいる男を見て、私は羨ましかった。

 

以前私の家の隣に自由が丘の花屋が住んでいて、毎晩遅く鎌倉まで帰って来るのに、翌朝早くにはまた車で出かけてしまう。

 

そんなある日のこと、鎌倉税務署長と名乗るいかにも尊大な男がやって来て、「隣の方はどういう生活をしているのでしゅか」と詰問するので、「そんなことは全然知らない。知りたければお前さんが夜中に玄関で見張っていろ」と突き放したが、署長は「は、花屋は市民税を払っておりましぇん。くぅえしからん!」と息巻いていた。

 

5年も10年も日本一バカ高い税金を踏み倒して、花を売り続ける男って素敵じゃないかと、そのとき私は思ったものだ。

 

話は違うが、この前の戦争のときに、私の祖父は寺社仏閣に頭を下げないふざけたクリスチャンであるというだけで牢屋にぶち込まれ、私のおじさんの一人は陸軍20連隊から脱走してあちこちの親戚を頼って日本全国を逃げまわったそうな。

 

最後にはとっつかまってしまったが、丹波・丹後の兵隊たち、特に福知山、舞鶴、伏見連隊の兵たちは南京の占領地のあちこちで銃剣を振りまわし、中国の兵隊のみならず女子供の非戦闘員までも虐殺していたから、おじさんはその先兵にならなくて良かったと私は思ったものだ。

 

さらに話は飛んでしまうが、古代からこの国には民草の所在を厳しく追究して租庸調を収めさせ徴兵しようとする権力者たちと、年貢や軍役、強制労働を嫌って村ごと逃散する農民や諸国一見の僧や「すたすた坊主」などもいて、支配・被支配の両者の見えざる攻防が現在も続いていると考えれば話が早くなるのだろう。

 

夏山を裾をからげてすたすた坊主 蝶人

 

どんどん話が飛び去ってしまうが、聞けばさいきん「マイナンバー制」というと耳触りはよいがつまりは「国民総番号制」が国会で可決されたそうだ。

年金や収入や医療や保険やらのバラバラ情報が一元化され、便利になって結構ではないかという能天気阿もいるようだが、これによって国民の個人情報を国家が完全に掌握することになる。

 

世に国家ほど恐ろしいものはない。平和なときにはニコニコしながら収入の無いものからも税金をむしりとり、いったん急あれば私たちの自由や人権や財産を略奪し、悪魔のように地獄の3丁目に導いて血祭りに上げるだろう。

 

私も、紅葉坂の放浪者や自由が丘の花屋さんや諸国一見の僧や「すたすた坊主」にならって税金なぞ踏み倒し、できれば国境の南に見え隠れする<背番号ゼロ>の人となって姿を隠してしまいたいと思ったことであった。

 

じぇじぇと呟きながら今朝の夏 蝶人

 

 

 

過ぎにぞ過ぎし」

 

ただ過ぎに過ぐるもの、帆かけたる舟。人の齢。春、夏、秋、冬。

向こう三軒両隣で、人がどんどん土に帰る。

 

私の家のすぐ斜め向かいの若いご主人が急死したのは、確か「子供の日」だった。

 

私の家の少し先のご夫婦の長男で、夜眠っている間に亡くなった高校生の息子さん。彼はバスケットが大好きだった。

 

私の家のちょっと先にあるアパートで練炭自殺した見ず知らずの男女3人。これは最近流行の「ネット死」だということで新聞ダネになった。

 

そのアパートのすぐ傍に住んでいた芥川賞作家の岡松さん。この人は三代将軍実朝の物語を書いた。

 

日本画の絵描きとして還暦を過ぎてから素晴らしい作品を生んだ小泉さん。この人は腐りかけのカブや建長寺の天井画の龍を描いた。

 

まだ50代なのに、ご主人と娘さんとお孫さんを残してガンで亡くなった植木屋の奥さん。

 

「鳩サブレー」を真似した「いちょうサブレー」の営業所の前のカーヴで、主婦ドライーバーのカローラに圧殺された働き盛りの労働者。まだその顔を覚えている。

 

金井不動産の金井さん。この人は私たち一家のために家を探してくれたが、美人の奥さんに先立たれ、若くしてガンで死んだ。

 

前々代の町内会長の大木さん。この人は突然町内から市会議員に立候補して落選した人に、「どうして事前に挨拶に来ないんだ」と呆れていたっけ。

 

そういえばうちのおばあちゃんも、泉下の人となってからはや1年が経つ。

 

もういちいち挙げないが、そのほかにも私の家の近所では毎日のように命が散らされ、そのたびに町内の掲示板に死亡告知が張り出される。

 

死はつねに私の傍にある。いま私が生きている場所が、死の場所。生者よりも懐かしいのは死者たち。

 

私は微かに震える水面を息をひそめて見詰めている。

ときどき半身を泉に浸したりもする。

 

さて、ここで問題です。

 

町内で、次のカロンの渡し船でアケロン河を越えるのは誰でしょう?

 

我が家で、次に黄泉の国に旅立つ人は誰でしょう?

 

 

 

エリーゼの為に」

 

私が住んでいる町では、毎日ゴミを選別して出さなければならない。

 

月曜日は、燃えるゴミの日。

 

火曜日は、段ボールや本や新聞や衣類の日。

 

水曜日は、さまざまな草や木や薪を出す日。ペットボトルもこの日に。

 

木曜日は、もう一度、燃えるゴミの日。

 

金曜日は、プラスティックや燃えないゴミ、ビンや缶を出す日だが、

最近その分量がどんどん増えてきたために、週に1回だけではパンクしそうだ。

 

毎朝8時20分までに我が家のゴミを出すのは、

自慢じゃないが、私の仕事である。

 

さて本日は、第1火曜日。

毎月この日は、どこの家でも溜まりに溜まった危険で厄介な廃棄物をじゃんじゃん出すのである。

 

みどりのそよ風に乗って聴こえてきたのは、収集車が流す「♪エリーゼの為に」のメロディ? それとも若い嫁はんに叩きだされた爺さん婆さんの断末魔の悲鳴?

 

町内の向こう三軒両隣は、静まり返って物音ひとつしない。

 

 

さて問題です。我が家で次に死ぬのは誰でしょう? 蝶人