蝶人戯画録

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小谷野敦著「川端康成伝」を読んで

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照る日曇る日第602

 

いくつかの作品はともかく、小林秀雄が「がらんどうのようだ」と評したこの人物についてはあまり興味もないが、たまたま手にとってつらつら目を晒してみたらなかなか面白かった。岐阜提灯のようにがらんどうと見えた内部には、天才的作家という立派な顔の陰にもうひとつの意外な顔貌が隠されていたのである。

 

著者が「双面の人」と名付けた川端家の谷戸の奥には、お馴染みのうらわかい乙女大好きに加えて少年時代の同性愛、異常なまでの国内外旅行好き、犬好き、鳥好き、社交好き、やたらめたらの女優好き、小説以上の冴えを示した商売人&経営者としての才覚、名誉職好き、ちやほやされ好き、政治好き、そして「代作」好きなどが鎌倉石のようにごろごろ転がっていて、いかなる権威にも遠慮会釈しないど根性を装備した好奇心旺盛の著者は、それらの伝説付きの逸話をシャーッロック・ホームズさながらの探偵眼でひっくり返していく。

 

この天下のノーベル賞作家が、「美しい日本の私」と自負するほどには日本の古典や歌舞伎・能・文楽、歴史に親しまず、芥川をしのぐ長編小説下手で、プロットをまともに立てられない文学的欠陥を中期まで保持していたことは私もうすうす気づいてはいた。

 

しかし特に私が驚いたのは、内田憲太郎が書いた「空の片仮名」をはじめ、伊藤整の「小説の研究」、中里恒子の「乙女の港」、野上彰、菊岡久利、北条誠、木村徳三、中山知子、塩田良平など、彼が昔から他人の作品に自分の名義を貸していながらそれを認めることなく平然と居直っていたことで、それらの一部が彼の全集にまで入っているとは開いた口がふさがらない。

 

こうした作家的良心のかけらもない営業売文行為は、いくら代作者にお金を払っていたにしてもけっして許されることではないだろう。作品の価値は作者の人格や行蔵となんの関係もないとはいえ、著者がいうように、川端康成という「偉大なる暗闇」の如き謎の人物が、わが愛する谷崎潤一郎のように「堂々たる人生」を歩んだとはとうてい思えないのである。

 

ホーホケキョだんだんうまくなってゆく鶯いったい誰が教えているのか 蝶人