蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

高橋源一郎選手の講演会「太宰治vs津島修治」を聞いて

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茫洋物見遊山記第129回&鎌倉ちょっと不思議な物語第290

 

6月最後の日曜日の昼下がり、市の商工会議所ホールではじめて源ちゃんの講演会を聞きました。ことし62歳になる彼だが、モスグリンの細身の野球帽をかぶり、リュックの中から太宰の文庫本を9冊も取り出し、去年の暮れから3たび鎌倉で暮らし始めたというマクラを振ってから、ユーモアをまじえた面白くて為になる文学談義がはじまりました。

 

当日はお話よりも朗読したかったそうで、太宰が奥さんの前でこたつに入りながら即興口述(しかも修正なし!)した「駆込み訴え」、そして「女生徒」の1節を「太宰本人になり変わって」朗読してくれました。

源ちゃんの話では、現在我が国でいちばん読まれているのは太宰の「人間失格」(2番目は漱石の「坊っちゃん)で、その他もろもろの作家の作品はいずれは消えてゆくだろう。太宰の作品の魅力は、その「固有の音楽性」にあり、しかも作品ごとに話者に憑依してその「声」(ヴォイス)が七色に変化する。こんな魅力的な文学は、太宰のほかには宮沢賢治中原中也にしかない、ということでした。

 

これは源ちゃんが胎教で彼の5番目の奥さんのおなかに向かってラッパでいろいろな詩を朗読したときの反応で実証された、と語っていましたから、たぶんそうなのでしょう。

 

そしていまは小説も詩も人気がなくてどんどん寂れている。時代のいちばん尖鋭な才能の持ち主はラップ(ヒップホップ)に向かっているとして、ふたたび「駆込み訴え」を今度はみずから机を叩きながらラップで歌ってのけたのが本日のハイライトでありまして、これは満場の拍手喝采を浴びたのでした。

 

いくら作家が大思想をしゃかりきになって絶叫しようが、その文体に固有の魅力的で強烈な音楽的ひびきがなければ、遅かれ早かれ時代から取り残されてしまう。例えば太宰から学んだ山田詠美の小説の「文尾」の無限のバリアントと、塩野七生のどこまでいっても「だ」で終わる論理的ではあっても非知性的で単細胞な文尾を比べてみれば、それは歴然としています。そういう思いがけない切り口が深く心に刻まれた初夏の1時間半でした。

 

なお鎌倉芸術館では7月7日まで源ちゃんの企画による太宰治vs津島修治」展が好評開催中です。

 

 

ザアメンの匂いとどこが異なるか言葉には出来ず栗の木過ぎる 蝶人