蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

クラッシュ!

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「これでも詩かよ」第18番&ある晴れた日に第148回

 

 

ポール・ハズキ監督の「クラッシュ」という映画の感想文をSNSにアップしたら、親切な読者の方から、「ハズキではなく、ハギスではないのか。あなたは先日もテリー・ミリアス監督をミリアムと誤って書いていた。ちと気をつけなさい」と注意された。

 

早速ウィキで調べてみたら指摘された通りだったので、有り難く感謝しながら急いでお詫びと訂正をさせて頂き、それはそれでいちおう事なきを得たのだが、じつはもっと大きな問題があった。

 

私はかなり以前、たぶん半年ほど前に、以下のような感想文を書いたことは覚えている。

 

「老いた父親の介護に明け暮れ、他民族の進出がアメリカ人の職場を奪っていると確信する警官マット・ディロンが、救ってしまうのは昨日自分が職務を違反して暴行を加えた有色のインテリ女性。

 

その人種差別主義が嫌でペアを離れた若き警官が、ふとしたはずみで殺してしまうのは、チンピラ盗人の黒人。そこから打ち出の小槌のように繰り出されてくるのは、おのれの出世と引き換えに大事なものを失おうとするロス市警のエリート刑事、妻を凌辱から救えなかった自分を憎み、そのプライドを取り戻そうとあがく黒人映画監督、ささいなことから鍵修理職人を殺そうとして天使に救われたペルシア人……。

 

アメリカの白人や黒人、中国人やイラン人、アフリカ人、プエルトリコやメキシコ人などの混血……、生きるさまざまな民族や混血人たちの間に起こる「衝突」を重層的に描くことによって、この映画は人種のるつぼでもある魔都ロサンジェルスの見知らぬ明日を指差そうとする。」

 

 きのう私は、書きっぱなしでしばらくそのまま放置していたその短文をアップするために久しぶりに読んだのだが、そのとき、肝心の映画そのものの記憶が完全に欠落していることにはじめて気付いたのである。

 

 処暑蝉どもが絶叫するなか、私は何度も何度もこの詰まらない文章を読むのだが、鳴呼ハズキ、いなハギス監督が苦心惨憺撮り上げた「クラッシュ」のほんの1コマの断片さえも覚えていないのだ。

 

ああ、これぞクラッッシュ! クラッッシュ! クラッッシュ!

忘却とは忘れ去ることなり、という言葉はまだ忘却していない私だが、いったいこれからどうなっていくのだろう? 

私はとうとうアルツハイマーになったのだろうか? それとも健忘症に?

 

アルツハイマーと健忘症はどこがどう違うのかはいざ知らね、私はグリコのおまけは右の掌にあるのに、グリコ本体を食べた記憶の無い少年のように呆然と立ち尽くしていた。

 

 

ありとある記憶が消えずに残っているんだ君の地獄のような苦しみ 蝶人