蝶人戯画録

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松家仁之編新潮クレスト・ブックス「美しい子ども」を読んで

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照る日曇る日第624回

 

松家仁之氏が創めた新潮社の海外小説シリーズのクレスト・ブックスは、その内容と共に用紙、装丁が他の単行本と一味違っていて、昔の岩波文庫、ペンギンブックス共々「どんな表題であろうが買いたくなってしまう」タイプの、私の偏愛する叢書であります。

 

海外の雑誌や書籍が好ましいのは、その頁から立ち上るなんともいえない馨しさであるからして、欲をいえばそういう官能性をも添付してくれたらと思うのですが、それはついに叶えられない個人的な翹望に終わるのでしょう。

 

さて叢書創刊15周年を記念して刊行された本書には、表題作をはじめ11人の名手による短編小説が12本並んでいますが、わが敬愛する小竹由美子さんの翻訳されたアリス・マンローの「女たち」、ネイサン・イングランダーの衝撃的な「若い寡婦たちは果物をただで」をはじめ、ありふれた言い方ですが、それこそ珠玉のような作品ばかりで、すこぶる読みでがあります。

 

今回私がある種の懐かしさと共に味読したのは、父親と息子の魂の交わりについて触れた「リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ」というベルンハルト・シュリンクの作品でした。

 

息子は老い先短い父親を独逸の田舎で開催されるバッハ音楽祭に招待して、二人の絆を確かめようと努力するのですが、その困難な試みは、途切れ途切れの会話によってではなく、二人が帰路突然の大雨に遭い、橋の下でバッハの「モテット」のCDを聴いている時に、もっとも豊かな成果をもたらしたのです。

 

私もこの短編を読みながら、主人公と同じように「モテット」のCDをかけ、人に頼まれた重い荷物を駅まで急いで運びつつ心臓発作で事切れた、人に優しかった父の面影を偲んだことでした。

 

 

五輪ではてんでバラバラの列島も台風十八号には一体となる 蝶人