根岸吉太郎監督の「ヴィヨンの妻」をみて
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.588
太宰の原作を読んだのはもう大昔なので、この映画がそのいぶきをどれくらい正確に伝えているかが分からず、さきほど再読してみましたが、これは作家が酒でも飲みながら一気に口述筆記したもので、べつにどうという内容の作物ではありませぬ。
まあフランソワ・ヴィヨンなぞという「こぞの雪いづくにありや?」などとノタマウ中世仏蘭西の与太者詩人の名前を引っ張りだしてきて、そいつをば恥ずかしげもなくおのれのいきざまになぞらえ、麗々しくもタイトルに据えたことぐらいがお手柄の詰まらない小品で、これだととうてい映画にならないので、他の作品のエッセンス?を拝借してきたのでしょう。
そのパクリの技巧はご立派。しかし太宰役の役者浅野忠信の台詞ははじめから終わりまで一言も聴き取れなかった。どうせくだらないことか喋っていないと分かっていたからではありまするが。
女優は松たか子はちとエグく、広末の意外なセクスイーにちと惹かれる。この監督はどういう風の吹きまわしかげんざい東北芸術大学の学長!をしているというので驚いたが、ポルノ映画の時代からセックスシーンは無茶苦茶上手な人なんですよ。
故郷の名前をテレビが連呼する台風十八号の爪跡いたまし 蝶人