夢は夜ひらく
「これでも詩かよ」第44番&ある晴れた日に第177回
夢で精神を分析するんだと豪語したのは、墺太利代表のジークムント・フロイト選手でしたが、いくら彼の本を読んでもその夢判断の成功例は(大負けに負けて辛うじて1件くらい)で、ほとんど出てきません。
どうしてなんだろうな。
やはり彼のほころびだらけの理屈では私たち人間の存在の芯に迫れなかった。
ということなんでしょうね。
それから「夢は第2の人生である」と喝破したのは、仏蘭西代表の詩人ジェラール・ド・ネルバル選手ですが、彼の言葉は肺腑を衝いている。
じっさい昼の私たちと夜の私たちは、全然違う思念と幻影を懐いている。
つまり、ほとんど別の人格なのです。
わたしの中に別の異星人が居ると考えてもいいし、2つの異なる惑星の人間をなんとかかんとかひとつに纏め上げたものがこのわたしである。
というてもよろしい。
それなのに私たちは、私たちの内部の人間がいったいどういう料簡を抱懐している存在なのかあまり研究しようとはしない。
昼間の労働でクタクタになった頭を枕に乗せるや、クワクワと眠ってしまう。
そして眠りほうけている間に見たあれやこれやの夢なんか、
朝になればすっかり忘れ果ててしまっている。
しかし私たちが誰でも毎晩じつにさまざまな夢を見ていることは、多くの学者、研究者がウムウムと深く頷いているところなのです。
「夢は夜ひらく」と歌ったのは、他ならぬ本邦代表の藤圭子選手でした。
そして「ボク毎晩夢を見るのが楽しくて楽しくてワクワクするんや」
と告白したのは、他ならぬ私の弟の善チャンでした。
さて今宵も夜の帳が街を包み、次々に窓の明かりも消えるころ、
私もひとつ夢を見ることにしましょうか。
私の知らない私と出会うために。
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その昔台湾リスを放せし莫迦がいて鎌倉の動植物はみなその餌食である 蝶人