半蔵門の国立劇場で「伊賀越道中双六」をみて
茫洋物見遊山記第140回
6代目中村歌右衛門が亡くなり、アホ馬鹿松竹が歌舞伎座を取り壊していらい歌舞伎に行く気がなくなった私ですが、その後優れた役者も下らぬ役者もどんどん死んでいきますし、日本三大仇討のひとつを21年ぶりに4幕7場を通し上演するというので遥々半蔵門まで出かけて行きました。
これはいわゆる荒木又右衛門の「鍵屋の辻」の11対4の決闘の歌舞伎化でありまする。
上杉家の家老・和田行家に悪計を見破られた沢井股五郎が、行家を殺害し、行家の倅・志津馬を負傷させて逃亡する序幕「行家屋敷」に続き、二幕目「政右衛門屋敷」(饅頭娘)と「誉田家城中」(奉書試合)では、武勇と分別を兼ね備えた唐木政右衛門(又右衛門のモジリ役で中村橋之助)の苦衷が浮き彫りにされます。志津馬の姉お谷には片岡孝太郎。
三幕目の「沼津」は、単独でも上演される屈指の名場面で、十兵衛(坂田藤十郎)と平作(中村翫雀)・お米(中村扇雀)、親子兄妹の再会と悲劇。そして大詰「敵討」で、政右衛門と志津馬は、大願成就を果たします。
確かに「沼津」は感動を呼ぶが、仇の股五郎への義理ゆえにどうしてもその行方を教えようとしない、教えられない、実の息子十兵衛の重い口を割るために、いきなり腹を切ってしまう父親の平作である。親子の絆と友人との誓いとの息詰まる葛藤が生み出す愁嘆が
観客の涙を絞るのですが、いまとなってはあんまりコンテンポラルな感情の発露とは申せますまい。
それなりに名の通った役者が雁首を揃えてはいるものの、柄と骨格は昔に比べればみな小粒になり、こぞって芸に生彩を欠く。なかで多少ともましな演技をしているのは橋之助くらいで、下座の泣かせで悪趣味な胡弓を用いたり、若手の三味線の下手さ加減には腹が立つより泣けてきました。
しかし坂田藤十郎という人の声は、どうして私の嫌いなカレラスのように細身にして小さいのであろうか。きちんとボイストレーニングをして中声部がちゃんと出るようにしてもらいたいものでげす。
なおこのお芝居は、来る26日まで閑古鳥何匹か鳴きつつ上演中。
細喉を嗄らして必死に吼えたれど大向こうより声も掛らぬ平成藤十郎 蝶人
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