ジョン・アーヴィング著小竹由美子訳「ひとりの体で」下巻を読んで
照る日曇る日第639回
「こうして私はひとりの体で幾人もの人間を演じ、どれにも満足することがない」というシェークスピア「ロチャード2世」の科白が掲げられたこの本は、だから、
ひとりの体の中にいる男や女を見い出し、大いなる苦悩と孤独の中で、その男や女が男や女たちを愛し、愛されつつ一身にして二生を経るが如くみずからを深く豊かに形成してゆくLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トタンスジェンダー)てんこもりの著者の自伝的ビルダングスロマンであるといえよう。
最近ようやくこれら「LGBT者」の存在が社会的に認知され、芸能人の人気者も登場するようになったとはいえ、依然として「異性愛者のみが正常」とするストレート社会で、「LGBT者」という名のレッテルを張られた「非人間的人間」が、とりわけ80年代のエイズ騒動でいかに不当な誹謗と中傷を蒙ったかは、それらをつぶさに体験したアーヴィングのこの小説を読めばよく分かるというものだ。
またシェークスピアのみならずバイロン、ランボオ、プルースト、ホイットマン、テネシー・ウイリアムズ、M・フォスター、ロルカ、ボールドウイン、オーデン、メルヴィルなどの偉大な詩人、劇作家、文学者たちがまとめて鋭敏繊細な「LGBT者」であったことも、私は本書で改めて知らされた。
けれどもこの本に書かれていることのすべてが著者の個人的な体験ではない。アーヴィングは彼自身がそう述べているように、おのれの内部の隠された性世界をどこまでも生き切り、とことん進んでみたら果たしてどのような天国や地獄が現出するか、という前人未踏の壮大な実験を、この小説を書きながら全身全霊で「体験」しようとしているのだ。
確かにある時は男としてストレートに男&女をつんざき、またあるときは女として男&女から貫かれる快感は、いわば「愛の倍返し、百倍返し、千倍返し」として我らの人世をば幾何級数的に無類に楽しくするのであらうことよな。
ある時は男としてまたあるときは女として男&女から貫かれるめくるめく快感! 蝶人