佐藤賢一著「黒王妃」を読んで
照る日曇る日第562回&ふぁっちょん幻論第73回
イタリアのメディチ家からフランス王家に輿入れし、国王アンリ2世の王妃となった一代の女傑カトリーヌ・ドゥ・メディシスの半生を描く著者お得意の史伝小説である。
夫が騎馬槍試合における不慮の事故で亡くなって以来、彼女は常に黒衣を纏ったことから、「黒王妃」と呼ばれるようになったという。ここで興味深いのは当時フランスでは喪に服す着衣は白であったにもかかわらず、あえて黒を選んだことである。
服飾史研究家の増田美子氏の研究によると、本邦で喪服が黒になったのは奈良時代からで、それまでは白だった。その後室町から江戸時代にはふたたび白に戻り、明治維新で西欧にならってまたしても黒となって現在に至るそうだが、その倣った欧米というのはおそらくドイツだろうから、独仏自体も白黒いろいろ変遷していたのではないだろうか?
この国でもむかし血族の死に際会して、どうしても黒服を纏うことをがえんずることなく断固として平服で通した人がいたが、私にはその気持ちがよく分かるような気がした。
だいぶ話が書物から飛んだが、ともかくこの腹の据わった黒衣のイタリア女が、周章狼狽する息子の国王シャルル9世やアンジュウ公アンリの首根っこを押さえながらあの有名な「聖バルテルミーの大虐殺」を引き起こす。
1572年8月24日、現在のルーブル美美術館一帯は数千人のユグノー(プロテスタント)教徒の死者で溢れ、セーヌ河は深紅の血に染まったというが、東西南北今も昔も信心ほど恐ろしいものはない。
世の中も政治も文学も下らない下るのはわが腹のみ 蝶人