蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

泉下の人

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「これでも詩かよ」第56番ある晴れた日に第192回

 

 

ことしは、むかし私が勤めていた会社の同僚が他界された。

 

安永和代さん。

 

ことしの五月に八〇歳で儚くなられたという。

満州から引き揚げてこられた方で、詳しくお尋ねしなかったが、きっといろいろ苦労されたに違いない。

 

私が入社した時安永さんはすでに超ベテランOLで、

ちょっと昔風にいうと「お局さん」として小さな組織に君臨していたから、

若い女子は敬して遠ざけていたが、私には優しかった。

 

しかし私がグアムに出張したとき、お土産に樽の中から兵隊のオチンチンが飛び出す大人のオモチャを買ってきたら、

「課長、課長、見て下さい! 佐々木さんたら、こんな酷いものを買って来たんですよ!」

 

と血相変えて言い付けられたことがある。

そーゆー軽い冗談をいっさい受け付けない、

とても真面目な方だったのです。

 

酒井精一さん。

 

彼の名前は、彼の父上が親しかった農業経済学者の東畑精一氏にちなむ。

東大国文の秀才で、卒論は「保田與重郎論」。

私は彼から「橋」にまつわる興味深い話をはじめて聞いた。

 

「あのね、僕がいっとう快感を覚えるのは、高速をドライブしながら、車がゆっくり右に曲がっていくときなんです」

と教えてくれた。

 

私はその一部をちょっと変えて、

左側にハンドルを切り高速を墜ちゆくときの軽き眩暈 

という短歌を詠んだが、それを彼に見せる機会はついに訪れなかった。

 

七月一七日。まだ早すぎる六〇代での急死でした。

 

さて今宵は西暦2013年のクリスマス・イヴ。

私は深く頭を垂れ、おふたりの霊よ安かれと祈っています。

さほど遠くない日の再会を約しつつ。

 

 

なにゆえに道は右に曲がるのが気持ちいいのか亡き君に訊ねている 蝶人