蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

橋本征子著「青い魚」を読んで

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照る日曇る日第648回

 

「夏の呪文」「闇の乳房」「破船」「秘祭」に続く北の詩人の最新作が届けられました。

 

冒頭の「青い魚」を皮切りに「キャベツ」、「そら豆」、「カブ」、「サラダ菜」、「みょうが」、「歯」、「ルピナス」、「メークイン」、「ラ・フランス」、「ブラック・オリーヴ」、「オレンジ」、「プラム」、「海月」、「オリーヴ・オイル」、「柘榴」、「林檎」、「肩甲骨の木」と全部で18の詩篇が並んでいるのですが、その大半が私たちにとっても身近な場所にある、いわばなんの変哲もない題材なのです。

 

ところが詩人がひとたびそれらを凝視すると、「わたし」はたちどころに「青い魚」へと変身し、キャベツの葉は「死者たちの掌」、そら豆は「わたしの醜い親指の第一関節」に、サラダ菜の真ん中には「わたしの桃色の乳首」が咲くことになる。

 

このようにいともたやすく対象に憑依し、対象と主客一体となった瞬間から、詩人独自の美しくも恐ろしい魔術的な幻想が次々に生まれてくる姿は、一種の驚異というべきでしょう。

 

そしてそれは、キッチンから飛び立ち、窓から外に出て、街路や海や広大な空を舞い、遠くはるかな宇宙の高みへと飛翔していくあいだに、なにやら人類の普遍的な夢と記憶の記念塔へと変容していくようなのです。

 

日常から非日常、「いまここ」から「いつかどこか」、個から出て普遍、全体へといたる目には見えない、高くて、氷のように透き通ったスケルトン。

 

大本教の開祖出口なおが、おのれの身近な素材に憑依して、世界認識の鍵となるお筆先を解きはなったように、詩人は、おのが身の周りのありとあらゆる事物に憑依して、独自の詩語をはなち、それによって固有の世界認識に通ずる独創的な回路を見いだしたのではないでしょうか。

 

なにゆえに人の心は見えぬのかすべての人は通り過ぎゆく 蝶人