蝶人戯画録

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丸谷才一著「丸谷才一全集第八巻」を読んで

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照る日曇る日第708回

 

柳田国男折口信夫によってとなえられた「御霊」を基軸にして、忠臣蔵という敵討事件と「仮名手本忠臣蔵」という歌舞伎を、政治的社会的背景のもとで解読しようと試みた「忠臣蔵とは何か」はじつに読み応えがある。

 

権力によって非業の死を遂げた菅原道真が、藤原一族を祟り殺したように、曽我兄弟の御霊は工藤祐経(じつは源頼朝鎌倉幕府)じつは(鎌倉幕府に兄事していた江戸幕府)に祟り、同様に浅野内匠頭の御霊は吉良上野介(じつは苛斂誅求を極めた徳川綱吉)に対してまがまがしく、しかも王殺しの祝祭のように降臨する(内匠頭の祖父は江戸きっての火消し大名だった)。

 

主君の死霊が悔しい思いで彷徨していれば、荒人神となった彼の御霊はどんな禍をもたらすか分からないので、赤穂四十七士は彼の怨みを受け継いで上野介を打ち果たした。この御霊信仰という呪術的=宗教的祭祀こそ忠臣蔵の本質であるというのである。

 

忠臣蔵の核心は、朱子学や武士道ではなく、古代から百姓(これが武士になる)が連綿と培ってきた土俗信仰であった。

 

面白いのは忠臣蔵とは何か」ばかりではない。

 

歌舞伎の起源は、当時切支丹文化全盛の京で大流行したイエズス会の「バレエをともなうバロック・オペラ」ではないか、(「出雲のお国」)、現在の天皇北朝)も崇徳院後鳥羽院後醍醐天皇という御霊神を拝んでいる。(「楠正成と古代史」)、儒教でがんじがらめになった中国文学には恋愛小説が無い(「恋と日本文学と本居宣長」)、古代はどの国でも母権制社会であったから、日本神話のスサノヲもヤマトタケルも生家の財産を継承することはできないので諸国を放浪してどこかの王女と結婚するしか道がなかった。(「女の救はれ」)、光源氏が女三の宮と結婚したのはその財力を頭中将に取られたくなかったからである。平安時代には女性の財産相続権が保証されていた。(「むらさきの色こき時」)

 

というような指摘にも瞠目させられますが、

もっと凄いのはこんなに凄い著者も脱帽した「後朝」における大野晋氏の読みである。

 

源氏物語の「夕顔」の巻で、十七歳の光源氏と二十四歳の六条御息所が一夜を過ごします。朝帰りする源氏は、元気はつらつで門に立つ侍女にも誘いの言葉を掛けている。

部屋の中の御息所は、当時の呪的な慣習で彼を見送ろうとするのだが、昨夜のセックスがあまりにも激しすぎたので起き上がれない。 

 

「御髪もたげて見出し給へり」というひとことで、紫式部はその一晩を全部表現した、というのです。

 

ともかく頭から尻尾まで美味いところが濃厚に詰め込まれた鯛焼きのような、本全集の白眉の一冊をおためしあれ。

 

 

なにゆえにこの障がいを治せぬか医学はなにをしているこの30年間 蝶人