蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

内田吐夢監督の「飢餓海峡」をみて

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bowyow cine-archives vol.648

 

 

はじめにお断りです。この映画をまだご覧になっていない方は、ここでこの駄文を読むのをやめてくださいね。はい、さよなら、さよなら、さようなら。

 

水上勉の原作を読んだことはないが、三国連太郎扮する殺人犯の主人公の故郷が、私の実家とそれほど遠くない貧しい田舎だったので共感を持った。(しかし実際にはあれほど地獄のような寒村ではない)。前科を隠して有名人になりおおせた舞鶴の町も汽車に乗ればすぐのところだ。

 

極貧の男が成り上がるためには犯罪でも犯して大金をせしめなければどうしようもないと原作と映画は語りかけてくるが、さてどんなものだろう。ソフトバンク孫正義なんかもっと酷い谷底から這い上がってきたじゃないかと言いたくなる。内田監督の夢を吐くごとき映像の迫力は物凄いが、どうにも話のキメが粗すぎるのである。

 

加えてこれをサスペンス映画として見ても、殺し方が唐突過ぎるしプロットが酷い。だいたい洞爺丸を沈没させた台風のさなかに漁船に乗った犯人が、たったひとりで函館沖から下北半島まで漕いできくなんて人間業ではない。絶対に不可能である。

 

取り調べの末に犯人の希望通りに舞鶴から北海道へ連行してゆくのも奇妙だし、青函連絡船の上で伴淳三郎の元警部が死者を悼んで花を投げろと主人公に勧め、それを許す高倉健の刑事もおかしい。

 

そしてあろうことか、ラストで三国連太郎は海に身を投げて、突如映画は幕を閉じるのだからもうメチャメチャな話である。

 

しかし一夜の愛を信じた薄幸の娼婦を演じた左幸子は素晴らしい。香港にいるはずの娘の羽仁未央さんに会いたくなった。

 

 

なにゆえに江戸時代のきざはしをコンクリに改築したのか一遍ゆかりのその古刹 蝶人