和田誠監督の「麻雀放浪記」をみて
bowyow cine-archives vol.658
大学に入って東京に出てきたものの、なぜか世の中に対しても自分に対しても前向きな姿勢になれなかったのは、私の生まれついてのニヒリズムのせいではなく、おそらくなかなかとれなかった微熱のせいではなかったろうか。
私は他の多くの同級生ともどもたちまち学校での授業にも自分自身のための勉学にも興味を失い、学校の近くの雀荘に入り浸って朝から夜中までマージャンにうつつを抜かしていた。
べつにマージャンが面白かったわけではないが、それしかやることがなかったというのが情けないけれど本当のところであった。
この映画を見ていると思い出されるのはそういう最低な時代の最悪のおのれの姿であるが、ここに登場する主人公の坊や(真田広之)やライバルのドサ健(鹿賀丈史)、女衒の達(加藤健一)などを眺めていると、このような非生産的なゲームに沈殿し命懸けになってしまう退廃的な暗がりに向かって転落してゆく心情の自虐と隠微な歓びがふたつながらに蘇ってくるような気がして、なにか見てはならない恐ろしいものを見てしまったという感慨にとらわれてしまったのであった。
デメ徳に扮する高品挌の存在感が素晴らしい光芒を放っている。
何ゆえに除草剤を庭に撒く草花も土地も二重に死ぬるを 蝶人