蝶人戯画録

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「丸谷才一全集」第七巻を読んで

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照る日曇る日第716回

 

後鳥羽帝に対する深い理解と愛情に打たれる著者入魂の傑作

 

私は昔から「万葉集」の晴朗で単純素朴かつ古代的な風韻が大好きで「古今集」やそれに続く「新古今集」、殊に後者のよくいえば知的で洗練された、悪くいえば持って回った小利口な歌いぶりが大嫌いであった。

 

王朝和歌につきものの本歌取り、縁語、掛け言葉、歌枕、序詞、枕詞、句切れなどの技法の駆使が、歌の本質であるエラン・ヴィタールを忘れた空疎な言葉遊びに見えて、こちらの知的能力の低さも相俟って長く敬して遠ざけてきたのである。

 

しかし本書の中核を成す「後鳥羽院」についての論考を読んでいるうちに、承久の乱隠岐に流されたこの帝王の歌人としての素晴らしさを教えられ、いやあこれは当代一の歌人藤原定家に匹敵する、いなそれ以上の大歌人かもしれないな、と思わされるに至ったのであるから、やはり丸谷才一の文学論は隅におけない。

 

「見渡せば山もと霞むみなせ川夕べは秋と何思ひけん」は水無瀬離宮を詠みながら、中世の幽玄美を凝縮した象徴詩であるし、「みよしのの高ねの桜ちりにけり嵐もしろき春のあけぼの」における「嵐もしろき」にはモダニストとしての上皇の真骨頂が表明されている。

 

「我こそは新じま守よ沖の海のあらき浪かぜ心してふけ」という海に雌伏を命じる至尊調の帝王振りも好ましいが、寵妃尾張を喪った哀傷歌「思ひいづるをりたく柴の夕けぶりむせぶもうれし忘れがたみに」の「むせぶもうれし」に込められた近代的な、いや現代的な愛と悲嘆は、およそ800年後の今を生きる私たちの胸を深く刺すのである。

 

詩歌の本質は宗教と祭儀と呪術にあること、「宮廷文化なくして詩歌なし」と考えた後鳥羽帝に対し、藤原定家が「「余情妖艶」を追及して宮廷から限りなく遠ざかることが詩歌の文化的自立である」と考えたことが偉大なライヴァルたちの別れ道であったこと、枕には霊が宿ること、古代から中世には秋、とりわけ七夕には共寝する習慣があったこと、恋愛と国見が国王の最大の仕事であること、国王に名前がないのは母系制社会の副産物であること、後白河院が定家の父俊成に編ませた「千載集」は崇徳院の怨霊の祟りを鎮めるためであった等々、さまざまな卓見とゆくりなくも巡り合える本書ではあるが、これを一言にして尽くせば、「後鳥羽帝に対する深い理解と愛情に打たれる著者の入魂の作物」ということになるだろう。

 

 

なにゆえにこの本はわれらの胸をうつ隠岐に果てし帝への哀傷深し 蝶人