蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

橋上の人~「これでも詩かよ」第94番

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ある晴れた日に第251回

 

西暦2014年6月29日午後1時、

君は、東京都新宿区西新宿1丁目のJR新宿駅南口の歩道橋に姿を現す。

 

一張羅のスーツに身をつつんだ君は、肩から拡声器をぶら下げ、

両手には2本のペットボトルを持ったまま、地上10メートルの屋根によじ登る。

 

橋上の人よ

新宿南口の歩道橋に立つ人よ

 

君は歩道橋の上の鉄筋の上にどっかりと腰を据え、

スピーカーの音量を最大にして、眼下の人々に向かって演説を始める。

 

「私は、内閣が容認した集団自衛権の行使に反対している。

それは、平和憲法が定めた専守防衛の掟を破る違法行為だ。」

 

「戦後70年近く、ただひとりの日本人も戦争に行かなかったのは、

外国との戦争を禁じる憲法第9条のおかげだ。」

 

そして君は与謝野晶子のあの有名な反戦歌を朗読する。

「ああ弟よ戦いに 君死にたもうことなかれ!」

 

しかし君の声は、街道を走るトラックや自動車の音、駅前の雑踏にかき消され

誰一人耳を傾ける者はいない。

 

橋上の人よ

新宿南口の歩道橋に立つ人よ

 

午後2時、ようやく人だかりができたようだが、君はもはや人々におのれの意思を伝えることをやめ、周到に準備した別のやり方で最後のメッセージを残そうとする。

 

独裁者の狂気の暴走を止めるために、いま何が出来るのか?

一人一殺の直接行動か、それとも同志と手を携えた緩慢な反対運動か?

 

悩みに悩んだ君は、聖徳太子の故事を、ベトナム戦争の僧侶を思い出す。

そして凶暴な猛虎の前に、おのれの脆弱な肉体を捧げようと決意する。

 

橋上の人よ

新宿南口の歩道橋に立つ人よ

 

君はペットボトルの中のガソリンを、基督に洗礼を与えたヨハネのように頭上に注ぎ、

おもむろにライターで火を点ける。

 

君が与えようとしたもの そしてわたしたちが受け取るべきものは何か?

火はたちまち君の全身を覆い尽くし、薄い灰色の煙が新宿の空高く流れてゆく。

 

 

  なにゆえに決死の訴えに耳を貸さぬ夜郎自大の権力亡者よ 蝶人