蝶人戯画録

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ドナルド・キーン著作集第10巻「自叙伝決定版」を読んで

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照る日曇る日第724回

 

 文学作品としての「日記」の意義に着目して、旧態依然たる日本文学の世界を更新した著者による自伝の決定版です。

 

 「つひに無能無芸にして只此一筋に繋る」という芭蕉の「笈の小文」の有名な一節が巻頭に掲げられているこの大著は、1920年代にニューヨーク郊外に育った少年がいかにして日本および日本文学の魅力にとりつかれ、偶然の出会いと思いがけない幸運の連鎖を閲しつつ、それが嵩じてついには日本に帰化するに至ったかという起伏に富む半生の歴史を詳細に語りつくして遺漏がありません。

 

 氏がコロンビア大学時代に「源氏物語」の魅力に取りつかれ、海軍日本語学校へ入って太平洋戦争の海軍士官となり、日本兵の日記に感銘を受けた話は有名ですが、「帝国海軍の軍人が杭に縛った中国人を「訓練の一環として」銃剣で突き刺し、時には殺した中国人の肝を食った」という証言をなどを日本大好きのキーン翁から聞かされると、こちとらは日本人であることをやめたくもなります。

 

 それはともかく、私が著者をうらやましいと思うのは、彼が谷崎、荷風、川端、三島、吉田、大岡、安部、ウエーリー、ラッセル、フォスターなど著名の士の知遇を得たことではなくて、戦後のロンドンでR・シュトラウスの「四つの最後の歌」のフラグスタートによる初演に立ち会い、ニューヨークではワルター指揮旧メトによる「フィデリオ」、マリア・カラスの「トスカ」の実演を目の当たりにしたという類稀なる僥倖であるのはいうまでもないことです。

 

 そして私は、東京を去る飛行機の中で永井荷風の「すみだ川」を読みながら涙を流し、集団自衛権の容認に反対し、本郷西片町から古河庭園の隣に引っ越して永住するというかつて米国人であった奇特な翁を、今なお嫌いではないのです。

 

 

 なにゆえにキーン翁は日本人になったコロンビア大学で源氏を読んだから 蝶人