加藤典洋著「人類が永遠に続くのではないとしたら」を読んで~「これでも詩かよ」第98番
照る日曇る日第725回&ある晴れた日に 第256回
人類が永遠に続くのではないとしたら、
私は来る朝毎に咲く朝顔を一輪ずつ丁寧に鑑賞し、
泣き叫ぶセミどもの声にもっと親身に耳を傾けるだろう。
人類が永遠に続くのではないとしたら、
私は愛する家族との食事をもっと豪華にして
毎日巨大な三浦西瓜を丸ごと食べるだろう。
人類が永遠に続くのではないとしたら、
マ、ぼちぼちでええんとちがいまっか?
人類が永遠に続くのではないとしたら、
マ、たいがいにせえと思うんではないかいな。
そんなことより、
人類が永遠に続くのではないとしたら、
私は「葬式も墓地も無用」という遺言を
予定より早めに書かねばならないな。
人類が永遠に続くのではないとしたら、
私はラブカやカラスやゴキブリやアメーバたちが
せめて私たちの初期DNAの痕跡を残してくれるように祈るだろう。
人類が永遠に続くのではないとしたら、
私は一篇の讃歌を庭に埋めるだろう。
懐かしい人々と遠ざかる世界の思い出のために
しかし、
人類が永遠に続くのではないとしたら、
などという仮定自体がすでに呑気な父さんなのであり、
かなり前から私たちは、その既定事実の内奥を粛々と生きているのだった。
なにゆえに人類は永遠に続かないのか己が一番偉いとうぬぼれているから 蝶人