蝶人戯画録

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マルセル・プルースト著吉川一義訳「失われた時を求めて7 ゲルマントのほう」を読んで

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照る日曇る日第726回

 

 吉川一義氏による岩波文庫版の「失われた時を求めて」も、これでおよそ半分まで到達した。妙な文学趣味に偏することなく、意味が明確で、注釈が比類なく充実しているのが素晴らしい。今後は本シリーズが、この仏蘭西古典の名作の翻訳のスタンダードとなるだろう。

 

 さて本巻の大半は、主人公がついに招かれたゲルマント公爵夫人のサロンで、いつ果てるともなく繰り返されるエリート貴族たちの、お上品にして不毛なおしゃべりの数々である。

 

 そこではゲルマント家の先祖たちが、欧州の数代前の王家やら高貴な家柄の英雄や偉人、有名人たちと、どのようなつながりがあるかとかないかとか、一族の従兄妹や従姉弟たちの人物評、社交界のライバルたちへの悪口や批評が、機知とユーモアと隠された差別意識にくるまれて、これでもか、これでもかとプルーストの筆にのぼされる。

 

 超一流サロンの主役は、もちろん主人公の憧れの的であった、美しく、寸鉄人を刺す一言居士のゲルマント公爵夫人であるが、実際は不幸な家庭生活を余儀なくされているこの公爵夫妻が、まるで吉本興業に所属する人気者漫才コンビのように、かわるがわるボケとツッコミを演じるのが、西洋漫画のように面白い。

 

 世界中のスノッブたちから、羨望の眼であおぎみられた、おフランスの、おパリーの、ハイソサエティーの、いんてりげんちゃーの、おされな会話の空虚な実態を、プルーストは克明かつ執拗にあばきだすのである。

 

 そのうつろなモノクロームな虚妄の世界が、突然打ち破られるのは、本巻の最後にわが懐かしきスワンと主人公が偶然再会を果たすシーンである。 

 

 余命いくばくもないことを告白するスワンと、「んなこたあ、われ関せず焉」とばかりに情婦の待つ仮装舞踏会へ急ごうとするゲルマント公爵、そして「そんな一大事を耳にしてパーティなどに出かけてはいけないのではないか」、と激しく懊悩する公爵夫人の姿は、まるで歌舞伎の大詰めで見えを切る極彩色の花形役者のストップ・モーションのように、私たちの胸を直撃するのである。

 

追記 145p左注の「前面」は「全面」の誤り。至急直すべし。

 

 

 なにゆえに赤のドレスに黒い靴は駄目?ゲルマント公爵はふぁっちょん音痴 蝶人