蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

安田次郎著「走る悪党、蜂起する土民」を読んで


照る日曇る日第142回

足利尊氏の執事として権力をほしいままにした高師直は、四条畷の激戦で楠木正行を戦死させ、一時は尊氏の弟直義が逃げ込んだ尊氏邸を大軍で十重二十重に取り囲んだほどの勢いを見せた。

師直は夜な夜な貴族の家に忍び込んで評判の娘を誘拐してはその貞操をほしいいままに蹂躙していた典型的なバサラ大名で日本史上有数の好色な武人だった。

あるとき美人の誉れ高い出雲守護佐々木塩冶判官高貞の妻に横恋慕した師直だったがまったく相手にされない。いつもならお得意の夜這いと暴力に訴えるのだが、考えた挙句に「兼好と云ける能書の遁世者を呼び寄せて」ラブレターの代筆を頼んだ。「徒然草」の兼好法師はどうやら当代一のゴーストライターとして知られていたらしい。

ところがせっかくの名文なのに高貞の妻は開封すらせずに捨ててしまったので、師直は怒り狂って「今日よりその兼好法師、是へよすべからず」と出入り差し止めにしてしまったという。
兼好にすれば、彼女が読んでくれさえすれば色男になびかせる自信もあっただろう。彼女が読まないのに自分を首にした師直に対しては頭にきたのではないだろうか。
しかし権力者の要請にこたえて恋文を書いてしまう吉田兼好の姿は、独立不羈な「徒然草」の世界を知るものにとってはいささか意外の感もしないではない。

今日もまた自閉の息子が描いている関東平野全線路線図 茫洋