蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

カルロ・リッツイ指揮ウイーンフィルで「椿姫」を視聴して


♪音楽千夜一夜第85回

これは05年8月7日にザルツブルク祝祭大劇場で行われたヴェルディの「椿姫」の公演録画ですが、新星ビオレッタ役のアンナ・ネトレプコの容姿と演技と歌唱に終始魅了されました。

この人はモデル並みのスタイルと美脚の持ち主であり、加えて軽くて透明なソプラノの喉を持ち合わせています。カラスやデバルデイが好きな私は、この種の吹けば飛ぶよな軽い声質には大いに抵抗があり、だからアンナ・ネトレプコの日本版ともいうべき森麻季のような水溜りをアメンボウのように滑りつづけていく歌唱を冷たく見下しているのですが、アンナには森嬢にはない腰の強さと劇性も備わっています。

顔容はアップになると美形というよりは可愛らしさが勝ったいわゆる狆ころ姉ちゃん顔ですが、赤いドレスに赤い靴のアンナ嬢が赤いソファーの上で前後左右に寝転がって白い太腿を惜しげもなく剥き出しにすると、場内超満員の観衆は大口をぽっかり開いてよだれを流しているのです。高等娼婦にふさわしい演出であり演技であると感服しました。

相手役のアルフレート役のロランド・ビリャソンもかなりのイケメンで美男と美女がさかりのついた猫のようにいちゃつきながら抱擁と激しい接吻を繰り返すのですから、ヴェルディの音楽どころの騒ぎではありません。

けれどもそんな激しい演技のために歌唱がおろそかにされることはなく、どのアリアも平均以上に歌いこなしているのです。その若い二人を脇でしっかり固めているのがベテランバリトンのトマス・ハンプソンで、なぜか第1幕の冒頭から出演してヒロインの行く末を案じている医師役のルイジ・ローニともどもオペラの縁の下をがっちり支えています。

そして特筆すべきは演出のウイリー・デッカー。伝統的なスタイルをいっさい廃棄して、青と白の照明を基調とした簡素な舞台に、大きな時計や白いバラ、赤いドレス、ソファーなどの小道具を巧みに使って、ヒロインの悲劇を象徴的に劇化することに成功しています。とりわけ2幕のパーティから3幕の主人公の死の床への転換を幕を下ろさずに続けた箇所などはまことに秀逸でした。

そんなわけでこの公演は、かつて最晩年のゲオルグ・ショルテイが1994年にロンドンのコベントガーデンで当時話題の美人ソプラノアンジェラ・ゲオルギューと組んで行った素晴らしいライブに匹敵する内容になりました。

いずれも超美形イコンの登場で話題を呼んだことでは共通していますが、両者を比較すると、その公演の成功にもっとも貢献したのが前者では指揮者、後者では演出家の働きであったことが、この15年間の歳月の経過を雄弁に物語っているように思います。


♪はしなくも大指揮者の時代終り中小演出家の時代来たれり 茫洋