蝶人戯画録

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石川九揚著「近代書史」を読んで


照る日曇る日 第348回

私の郷里の実家には犬養毅西郷隆盛新島襄賀川豊彦などの揮毫を扁額にしたものが長押の上に掲げてありました。

南洲の「敬天愛人」はもちろん偽作ですが、やたら安易に健筆をふるった木堂に詩魂なく、襄にプロスタントの矜持あれど、「死線を越えて」の作家に初期の社会主義思想というよりは、「奇妙な童心」をくみ取ってやや意外の感に打たれたことなどを思い出します。
それでも政治家や文人墨客の書については、文がその人を表わす以上に、書がその人となりを直示することを、幼いながらになんとなく理解していたようなのです。

その後青山の根津美術館で出会った良寛の書と八〇年代のはじめに六本木の小さなギャラリーで見た井上有一の有名な「壁新聞」シリーズは、書に疎い私にとっては大きな衝撃でした。
当時世間では相田みつおや榊莫山などの手合いがらちもない紙屑をかき散らして世間の喝采を博していましたが、こんな低俗の輩に比べたら、大本教の開祖出口なをの墨痕淋漓たる「お筆先」でも拝め、と言いたくなったものです。

ところが当節では、またぞろ武田なんとかとか紫の船なぞという私にはさっぱり良さのわからない書き手がマスコミの無知に乗じるように登場して超表層の話題となり、とうとう「女子書道ブーム」なるものが列島全域に嵐のように巻き起ったようで、まっこと慶賀の至りでございます。(←「龍馬伝」の福山選手の真似)
ここらでわが国の書の歴史や特性について概略を知りたいと思っていたところに、折よくこの本が出現したというわけです。

石川九楊の名前は、「毛筆の数百本から数千本が、最終的には一本一本全部別々の方向に動くように進んでいる」とか「無意識の水が動いている」というような言い方で、彼が書をかく際の「筆触」の生命力をことのほか重要視している当代屈指の書道家であるとだけ承知していました。

本書では明治の元勲から漱石、子規、藤村、晶子、茂吉、潤一郎、一政、山頭火、希代の悪筆扇千景(による国土交通省の看板)に至るまで、多くの作家や政治家、書家の墨跡と作品を具体的に例示しながら、その背景にある彼らの人物像や思想までぴたりと言い当てる離れ業を見せるのですが、たとえば宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」手帳全一冊、正岡子規の絶筆となった「辞世三句」の徹底的な解字分析には心底驚嘆させられました。
死に瀕した彼らがどのような心境でこれらの遺言を書き記したのかが、まるでその現場に居合わせたかのような臨場感と共にあざやかに分析されているからです。

また私は著者によって紹介される多種多様な書家の膨大な作品群の中にあって、政治家を卒業してプロの書き手になった副島種臣と中林悟竹の天馬空を行くような書、内藤湖南夏目漱石などの保守的優等生によって酷評された洋画家中村不折の中国六朝書を自家薬籠中のものにした超前衛的な「龍眠帖」の前で、大きな衝撃を受けたことを驚きと喜びをもって告白しないわけにはいきません。

世間では先刻承知のことなのでしょうが、恥ずかしながら私は、これらの書の革命的な素晴らしさ、パンクなドラマトゥルギーについて、棺桶に片足を突っ込んだこの年になるまで無知だったのです!

うれしかったのは書の専門家である著者が子規の二人の高弟である「有季・定型・花鳥諷詠派」の高浜虚子の書を退けて「無季・自由律・短詩派」である河東碧悟桐の「再構成された無機なる自然」の境地を高く評価し、あわせて腐敗堕落した虚子亜流の現今の俳句界について警鐘を乱打していることで、これこそわが意を得た思いでした。

著者の思索の対象は、毛筆による古典的な書道の世界を離れて、石川啄木島崎藤村高村光太郎の「近代ペン書き三筆」の書体特徴の分析に及び、さらに啄木の「口」という字の書き方が一九八〇年代に猖獗を極めた「丸文字」の元祖であるとの指摘に至り、ついには九〇年代から始まった「金釘流横書き」が、日本語の漢字かな混じり文の将来をいちじるしく損なっているとその実例を挙げて説き、最後に一日も早い縦書きの復活を願って九〇〇〇〇〇字にわたって「三菱のユニ鉛筆で手書きされた」この大著の全巻をおもむろに閉じるのですが、そういうことなら、これからは私も板書を「金釘流縦書き」にせねば、としばし考えさせられた鋭い指摘ではありました。

早い話が、わが国近代の「書」の解剖を通じて文明の病根を剔抉する、記念碑的な名著の誕生と評せましょう。


♪明日よりは「金釘流横書き」にいたしませう悪評高き余の「金釘流横書き」 茫洋