林望「謹訳源氏物語九」を読んで
照る日曇る日 第572回
前巻から「宇治十帖」に入ったが、ここでは薫二十五から二十六歳までの「早蕨」「宿木」「東屋」の三つの章を収めている。
何度読んでも歯がゆいのはその薫の優柔不断さだ。さきに美女に惚れるのはいつも薫なのに、中君も浮舟もライバルの匂兵部卿がさっさと手を出してものにしてしまう。
薫は中君よりも姉の大君に惚れていたが、その大君が死んでしまうとその面影を忘れられずに妹に惹かれ、その中君をあろうことか匂兵部卿に教えてさっさと奪われてしまうのだから自業自得もいいところだ。
しかも匂兵部卿の妻となった中君にまだ未練たらたらで、こんなことなら自分が先にものにしておけばよかったと悔やむのだからあほらしくて読んでいられない。
かててくわえて薫は、せっかく自分よりも姉の大君が好きだったと知っている中君から大君そっくりの美女、浮舟の存在を教えてもらったというのに、これまたあっというまに匂兵部卿に初物を頂戴されてしまうという体たらく。
次回はその浮舟が気の毒な目に遭うのだが、その原因はひとえにこの男の無能と行動不全にあるというても過言ではないだろう。そして「宇治十帖」があからさまにするこの「世界と欲望の対象を前にした無能と行動不全」こそが、ひときわ現代的なテーマなのである。
なを刀自の所縁の梅はまだかいな 蝶人