蝶人戯画録

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江戸東京博物館にて「明治のこころ モースが見た庶民のくらし」展をみて

 

 

茫洋物見遊山記第144回

 

モースは江ノ島で三味線貝を採集したり、大森貝塚を発見したアメリカの民俗学者はと思っていたのだが、それだけではなく明治時代に三回も来日して当時の民衆が使っていた品々や衣食住遊休知美にまつわるありとあらゆる道具や商品や文物を根こそぎ収集していた「偉大なるコレクター」でもあったことを、私ははじめて知って驚いた。

 

そこには庶民の衣服、台所道具からはじまって歯磨き、お歯黒、簪、煙草入れ、職人の大工道具、建具、店の看板、私の少年時代の好物であった金平糖やイナゴの甘煮、真っ黒に塗りつぶされた子どもの手習い帖や鳥かごまでが所狭しと並んでいる。

 

しかし祖父が興し父母が継いだ履物屋の三代目に当たる私がいちばん注目したのは、もちろんモースが集めた一三〇年前の下駄で、土が付いた小振りのそれを眺めていると、この国に洋靴など一足もなくて丹波の山奥でも飛ぶように売れた幼時の思い出が走馬灯のように霞む老眼を過ぎった。

 

モースは当時の下駄屋の写真も撮っているが、それは八百屋や駄菓子屋と同様に見事に陳列されており、この見事な店頭ディスプレイこそ現代にまで続く日本的ⅤMDの源点に鎮座ましましていることは疑いを入れない。

 

さらにもうひとつ私が感嘆したのは、庶民が普段使っていたと思われる明治時代後期の手拭で、それは単なる一枚の手拭いであるにもかかわらず、そこに施された月に雁、瀧に鯉などの秀抜な柄模様は、現代にも通用するじつにモダンで粋なセンスが横溢していたのだった。

 

モースは当時来日していた英国人のアーネスト・サトウと同様大の日本びいきで、「日本その日その日」を読むと彼のこの国の人々の暮らしぶりとその文化への愛が率直に披歴されていて快い気持ちに浸れる。

 

しかしモースの目には、明治の子供や民衆は世界中でもっとも幸福な人種と映ったかもしれないが、その同じ人々が御一新後の急激な社会変革に取り残され、貧富の差に苦しむ不幸な人々でもあったことは、同時代の樋口一葉一家の悲惨な末路、松原岩五郎の「最暗黒の東京」、横山源之助の「日本の下層社会」の視線から眺めれば、おのずと別の感慨もわいてくるというものである。

 

彼のお陰でこのように貴重なコレクションを今日の私らが目にする幸運に巡り合わせ、それが諸国民の宝物となりおおせたことに深甚なる感謝の念を抱いているとはいえ、その反面、彼が後輩のフェノロサが本邦の美術品に対して行ったと同様の文化財海外持ち出しに血道をあげたことを面白くないないと思う心も持ち合せている、というのも私の偽らざる心境である。

 

なお本展は、私が死ぬほど嫌いな、見ると吐き気がするほど嫌いな、本邦で最悪最低の建築家、菊竹清訓の手になる江戸東京博物館にて、来たる12月8日まで開催中です。

 

 

秋日和被災地の犬と遊びけり 蝶人

 

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