蝶人戯画録

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中上健次著「中上健次集第1巻」を読んで

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照る日曇る日第722回

 

 著者の初期の習作を中心に芥川賞を受賞した「岬」までをセレクトしたもので、著者が作家として自立してゆくまでの軌跡がまざまざと読み取れる。

 

 著者が中上健次となりおおせたのは、「十九歳の地図」の「蝸牛」あたりで、それ以前の「十八歳、海へ」などは、ほとんどちょっと文才のある中学生の作文の域を出ていない。

 

 考えてみれば、部落出身の文学少年や乱脈な両親の元で生い育ち、ヤクザや落ちこぼれの異母兄弟、一族郎党に囲まれて下層階級の一員として沈湎する恵まれない貧乏人も大勢いるが、それらの少年のすべてが作家、中上健次になるわけもない。

 

 著者の兄の自殺は著者に大きな衝撃を与えたが、このような不幸な境遇にある弟が、それを繰り返し執拗に小説の材料に使い倒すわけもなかろう。

 

 また思うに、地方に住むこの年代の青少年のほとんどに固有の「路地」があり、「路地」での貧しい生活と青春があったが、誰一人著者のようにそれを壮大な女系家族の物語に仕立て上げようとはしなかった、ともいえるだろう。

 

 そういう意味ではこの海のものとも山のものとも知れぬ青年は、ここに収められた初期の習作を通じて、ポール・ヴァレリーのいわゆる「方法的制覇」を成し遂げたのである。

 

 

  なにゆえに中上健次中上健次となりおおせたか土方のように小説を書いた 蝶人