蝶人戯画録

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メンズ漫録その7


ふあっちょん幻論第30回

このようにして洋服は、大元帥陛下の軍服を頂点に、軍国主義と官僚主義の2つに跨って新しい権威の象徴となった。

最初に洋服になじんだのは、官吏、インテリ、富裕層だった。彼らは、昼は燕尾服(テイルコート)、夜はフロックコートを上手に着こなしたのだが、これはなぜか正式の英国流とは異なる着方だった。

英国ではダブル前の丈の長いフロックコートが長期にわたって昼間の正装であったが、1926年にジョージ5世が準正装のモーニング(午前中に行なう乗馬のために前裾がカットされ背中には裾を留めるボタンが2コついている)を着てチェルシー・フラワーショーに出席したのを契機に、モーニングがフロックに代わって昼の正装になった。明治のエリートたちはそんなことなどお構いなくわが道を歩んでいたのである。

現在の我が国では、モーニングは昼夜を問わぬ正式礼服であり、燕尾服は格調高い宮中最高礼服として通用している。大隈重信板垣退助伊藤博文など明治の政治家もその大半がフロックコートを着用していた。

ちなみにタキシードは、絹布が張られた剣襟かへチマ襟の上着と顕章つきシングルズボンの夜の正装である。色はクロかミッドナイトブルーで黒の蝶ネクタイとカマーバンド、エナメルのオペラパンプスなどとともに着用する。ブラックタイ着用とあればこれを着るのが無難だろう。

ちなみついでに、このタキシードはNY郊外のタキシードパークでタバコ王ロリラード家の4世がここにタキシードクラブをつくり、1886年10月10日にパーティを開催したのだが、その時に英国帰りの息子が、「尾のない燕尾服型の上着」を一着におよんで登場したのが起源だという。

しかし英国人は、これは「ディナージャケットだ。本物のタキシードはエドワード7世の注文で1865年ヘンリープールが制作したのだ」と称して異を唱えているという。
以上の記述の大半は、服飾評論家中野香織氏の指摘による。


わが庵にはじめて咲きたる梅の花二輪なれども姿うるわし 茫洋
 
待ち待ちてついに咲きたるむめの花二輪なれども妻と楽しむ