蝶人戯画録

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鈴村和成著「アフリカのランボー」を読んで

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照る日曇る日第600

 

「地獄の季節」、「イリュミナシオン」を書き終えたアルチュール・ランボーは、自由奔放な天才詩人としてのペンを置き、1875年、酔いどれ船に乗りこみ、沈黙の船出をした。

 

 フランスの詩人にして伝記作家のボンヌフォワは「アフリカのランボーが家族に宛てた手紙は読まぬことにしよう」とご託宣をのたまい、わが小林秀雄は、「(彼の手紙は)砂漠のように無味乾燥である」と独断と偏見から断じたために、灼熱の砂漠におけるランボーの生とエクリチュール(書き物)は多くの人々から無視され、封印されるようになってしまった。

 

しかしここで著者が企んだのは、辺境の地、アフリカのアビシニアに勇躍赴き、残された少なからぬ歳月に亘って従事した貿易商人としての生涯と書簡作家としての実り豊かな業績を、かつての天才詩人としての前半の側面と突き合わせることによって、無惨に切断されたように見える2つの生を、本来の姿形である見事なひとつにつなぎ合わせることだった。

 

それはいわばランボーの全体像の刷新であり、総合化であり、新たな復活である。

 

これを読む者は、天才詩人の詩魂はけっして突如枯れたのではなく、終生無味乾燥な荒れ地の地下を滾々と流れており、時折はアフリカ書簡の中で生き生きとした命の水、折々には機知と諧謔に満ちた哄笑の噴水を噴き上げたことを知るだろう。

 

彼にとって後半生のアフリカ行きはいわば生の戦略の転換であり、詩の限界を悟って不毛な労働に身を蕩尽しようと決意した彼の生の必然であった。 

 

1891年11月9日の死の前日、最後の最期まで詩人・労働者が渾然一体となった全的人間ランボーは、おのれの固有の生と詩をさらに前進させ、いっそう豊かにするために、マルセイユからアフリカ行きの船会社の支配人に「私は完全に麻痺した体です。ですから早く乗船したいのです」という手紙を妹イザベルに口述して、果てた。

 

 

武器を売り奴隷を売るとも己は売らぬ砂漠の商人アルチュール・ランボー 蝶人